ある詩集を読んで
しゃぱだぱ

痛みに何故これほどあなたの詩が光とともに染み渡って楽にするのでしょうか。僕は貴方が詩を遺してくれた事を感謝します。それは、単純に、ただあなたから吹きこぼれたに過ぎない代物ただそれだけだと言うのだとしても。ただ僕が、誰かを俯瞰する事で、心が楽になる脳みその仕方ない仕組みに食われ、当て付けるように読むと言う行為をしているだけだとしても。
僕は確かにこの眠れない、苦しみの夜、あなたの詩に救われています。
僕は食い意地を張っていて、非常に汚い食べ方をしますが、心はそっと美しく、あなたの詩の光の粒子を吸い込み、静かに咀嚼をします。それはあなたの詩が美しいからなのです。美しい、とは冬の奥山の切り立った氷山のような、きっぱりとした寄せ付けぬ高潔さではない、陽だまりに咲く、ぷよぷよ風に揺れている暖色のちょっとした、しかし繊細で緻密な背の高い野花のような、そんな美しさなのです。
何故心の痛みが溶けるのか、それはきっとその瞬間を切り取る性質を持つ詩というものが、かわりに崩れて泣いているからなのです。それは「今」ではありません。しかし文字は生きたままそこに「その瞬間」で在らせ続けるのです。
心の砕きや、途方も無い虚脱、死に死を続けた心の、ふと溢れるようなしわぶきが、苦笑うように微笑んだ時の小さな頬の皺が、誤魔化すような欠伸が、思い出したようなくしゃみが、あなたの詩なのです。
僕は、あなたの詩集を全て読み終えてしまうのが怖い。この一冊は、もう半分を等に過ぎてしまいまいました。この、陽だまりは再度読んだ時薄れずにやって来てくれるのか。
なのでちまちまと一詩一詩海獣が息継ぎするように、僕はこの世間を息を止め歩き、詩に小さなため息を吐いています。

僕らは一瞬に、また、その時の感情にしか住まないのに、しかし長い時間生き延びるための沢山の方法が必要で、この世間に詩はもろいです。しかしそのもろさこそが、今の僕をどうにかつなぎとめるのです。

僕はあまりに脆弱で、その上生きる上でどうしようもない、沢山の救いようのなさをもちます。
しかし、瞬間とは常に救いようなんかない部分を持つんだと、詩は教えてくれるのです。…それが、何の救いにもならない。横目で僕のことを見る天日に干されているアジの開きのように。
しかし、向き合ってはくれないですが、同じ方を向いて、何の抵抗もなく、一緒に海や夜空を見てくれる、定年退職した無口な道化師のようでもあるのです。それはほんの小さな同情を寄せて。
詩が無ければ僕の心は、僕は等の昔に崩れて、霧散していた事でしょう。

詩は微熱の時、寝起きにそろりと飲むぬるいポカリのように、あるいは休日のよく晴れた昼間、木陰のベランダでペロリと飲む日本酒みたいにそっと体に馴染みます。

詩とはこの生きるという地獄を過ごす魂の、束の間の休息地でしょうか。

詩とは
真夜中薄ぼんやりした三日月の中
素っ裸で海で水浴びをしている人がいて
それを防波堤の端のテントから這い出て
生暖かい風を浴びながら
少し離れた所で
その無防備さの気配をそっと感じる事
でしょうか

そう言えば
つらくて、つらくて、
助けて!、と叫んだら

詩はちょっとだけ微笑んでくれた様に見えました。

僕らは一人ではありません。

2018/9/10(少し修正)


散文(批評随筆小説等) ある詩集を読んで Copyright しゃぱだぱ 2018-11-10 06:49:22
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