街が加速する
はるな
思いつくかぎりの言葉をみんなつかって作った山を切り出して、てきとうにくっついた文字の並びで遊んでたのが昨日のこと。さしだせるものはみんなそうして、みえるかみえないかぐらいに残ったのがたぶん
ま夏のコンクリートみたいにさめざめ沸騰して消えちゃう。(コーヒーショップの窓が陳列棚みたいにみえる)
街ではいまも恋がはやってる。
なにかと理由をつけて生活するけれども、そんなのもう古いですよ。ひとはもっと自由になるべきです、ってテレビ…そうなのか。じゃあ、ってことですでに捨てた衣服や靴や食器や家具 電化製品 写真 本 日記帳 べたべた糊付けてつくった過去と過去と過去、意味を残すの?それって意味ある?抽象と具現がたえず繰り返されながら街が加速する。物質が焼却される一方で概念が肥え太る。世界の重さは変わらないのに。物で縛るのと思想で縛るのといったいどちらが罪深いだろう。良い匂いのする乗客。
結局のところ、思考と思想は身体に閉じ込められている。わたしたちはいつもすこし不自由で、そのために生き延びてきた。身体に行き着く自由さなら、思考の枝を折る必要はない。考えることをやめてはいけない。あるものはすべて差し出して、思いつくかぎりの言葉を吐き出し続ける、そんなことをしているとき身体は、時間のように伸び縮みする。わたしたちはどの瞬間にも思い通りにならない自由を抱えている。街は人によって生き延びる。