もちろん君がそれを誰かから受け取りたくないのならと言うのなら、だけど
ホロウ・シカエルボク

あかりに頼ることなくあらゆるものを見つめようとする気持ちを覚えたのは幾つのころだっただろう?その瞬間のことは決して思い出すことは出来ない、たとえ自分の過去を洗いざらい探ってみたところで、その瞬間を見つけ出すことは決して出来ない…それは自覚するよりもずっと昔から、おそらくは産道を潜り抜けて最初の空気を肺に吸い込んだその瞬間から始まって、ずっと続いてきた変化のプログラムなのだ、たとえその正面に陣取ってじっと見つめていたところで、決して気づかぬほどの速度と程度で進行した、植物の発芽と同じだ、どれほど意識して見つめたところで、いまその時に何が起こっているのか知ることなど決して出来ない、それは機器に記録して、時間を早送りすることでしか知ることが出来ない、そして気が付くと、そこにはひとつの花が咲いて散った痕跡だけが残っている、変化は確実に実行されたのだ、確実な変化―確実な変化だ、確実な変化というものは常にそんな調子で、即座にそれと判るようなものはどこにも見当たらず、時間と目的の長い蓄積によって達成される、昨日ダンベルを手に取ったからといって今日見栄えのいい筋肉を手に入れることが出来ないのと同じことだ―こういう場だから、詩というものに例えて語ってみようか、詩人というものが人生を賭けて書こうとするものはたった一篇の詩だ、それが画家であればたった一枚の絵だし、作曲家であるならたったひとつの楽曲だ、表現者は、たったひとつのものを造り上げるために人生を費やすのだ、表向き鮮やかな変化を続けながら、ノートに、キャンバスに、五線譜に記されるそれは、そいつの動機であり、目標でもある、つまりそれは、それぞれの手段として選択された時点で、なにもかも決定されているのだ、表現者が求め続けるものは一生変化しない、そうだとも、そのことのために俺たちは、静かで確実な変化を実行し続けるのだ―理解出来ないって?―ならば、簡潔に語ってやろう、そうして一生賭けて俺たちが求めていくもの、それがつまり変化というものなのだ、いいかい、大事なことだよ、変わらず、確固たるものとして生き続けるには変化し続けなければならない―これが真理だ、そしてあらゆる変化とは常に成長のように行われなければならない、長い時間をかけて覚えたもの、身に着けたもの、変化し続けようと蠢いているそれに、終着点を設けてはいけない、決していけない、それはまだ大きくなれる足に纏足を履かせるようなものだ、もっとも、君があくまでもそれを君の美学だと語るのであれば、俺としてもこれ以上なにを言う気もないけれど…変わらないでいるために同じことをやり続けるのは愚の骨頂だ、それは得てして一本気で真っ当な行為に見えるし、無責任なギャラリーたちだってきっと評価してくれる、でも、それはただ慣れていくという行為に過ぎないんだ、そして、一度慣れてしまったものは、たとえ飽きたってやり続けていく他はない―多くの人間がこの下らないポージングにとっ捕まって、それに相応しい服と言動を手に入れる以外のことはなにも出来やしない…いいかい、人はどんな風にだって変わることが出来る、君がなにかいままでと違うものに興味を持ったとしたら、それは君が君自身であり続けるために変化を求めているということなんだ、迷わずにそちらに向かって手を伸ばせばいい、俺たちは真理に触れることはない、真理という巨大な幹から迫り出した枝の周りを飛び続ける蝶に過ぎないんだ、勇気とは、そこに留まり続けることを言うんじゃない、そこからどこに向かって飛び出すのかを決める心と、踏み出す足のことを言うんだ。


自由詩 もちろん君がそれを誰かから受け取りたくないのならと言うのなら、だけど Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-02-11 22:28:47
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