無伴奏チェロ組曲
吉岡ペペロ
○○小学校入学式と書いた看板のよこで、
母とふたりでうつった写真はだれが撮ったのだろう。
小学校御用達の写真屋さん以外考えられない。
無伴奏チェロ組曲第1番をひくときまってこの写真を思い出す。
こころのなかで、ジグソーパズルのようになった写真の破片をゆびで動かしている。
動かしながら、写真屋さんのことだけを考える。
それ以上は、思考を進めるのが辛いというか痛かった。
親戚の叔母さんに同情してもらおうとして、
写真はびりびりに破って枕元に散らばせたからもうないと思っていた。
母が死んだとき叔母さんがビニール袋に入れたそれをくれた。
何かを思い出すようなふりをして手にとってしばらく眺めていた。
以来、チェロと出会って、無伴奏チェロ組曲をおぼえると、
たぶんみんなが帰宅するとテレビをつけるような感覚で、そのパズルをゆびで動かしている。
写真屋さんを探せばフィルムはあるのかな。
廊下に貼り出された同じような写真をみて、
番号を書いて写真を買ったのかな。
それとも自動的に配られたのかな。
四月かな。ちょっと遅れて五月かな。
無伴奏チェロ組曲が好きだ。
優雅で、原因と結果があって、
長い時間を受け容れることのできる音楽としての強さが気に入っている。
譜面通りひかないと心地よくないところも好きだ。
無になれる。ひいてること自体が何かのオチのような気がしてくる。
○○小学校入学式と書いた看板のよこで、
母とふたりでうつった写真はだれが撮ったのだろう。
小学校御用達の写真屋さん以外考えられない。
無伴奏チェロ組曲第1番をひくときまってこの写真を思い出す。
こころのなかで、ジグソーパズルのようになった写真の破片をゆびで動かしている。