あらゆることが語り尽くされたあとに
ホロウ・シカエルボク







いのちは
こころのかたすみで
ふるえながら狂っている
枯れた木が
記憶だけで
まだ水を吸い上げようと
こころみているように


まともなあんたは
ひびわれた窓のそばで
景色を望まないだろう
でも
その窓は
みがかれたガラスよりも
ずっとたくさんのものをうつし出す
そら、覗いてみろ


よどんだ川に棲むさかなは
おいそれと死んだりはしないものだ
取って食おうなんて考えるやつもいやしないから
まるまると肥えて悠々と泳ぎ続ける
排水口にからんで腐敗した水草に隠れて
この世でいちばんおぞましいシルエットの月を見る


おさないころに
まくらもとで
ははおやが歌った
子守歌を思い出すと
わけもなくおそろしくなる
上手く眠れなかったこどもらはどこへ行ったのかと
そんなことばかりが気にかかる


いつからかもの思いのなかでころころと転がるのは
おもてに出せなかった感情の数々だろうか
それとも想像のなかで果てしなく殺した
いく人かの苔むした頭蓋骨だろうか
奇妙なほどからからに乾いたその音は
どんな結末を望んで鳴っているのだろうか


平衡感覚が狂いそうな
傾いだ屋上のふちに腰をおろして
手足の爪を切る
身を削ぐような
十一月に腹をたてながら
月は冷凍庫のなかの肉のように色を失くしている
このかじかんだくちびると同じように
いつか雨の日に
わが身のかけらは汚れた水に流されて排水口へと吸い込まれるだろう


用意された食事がずっと錆びついた食卓で
死に絶えたいくつかの
絡まった思いを選り分けている
無数のヘッドフォンのコードのようにややこしくもつれ合って
ひとつひとつがどんなものだったのかもうわからない
指先で慎重にほどきながら
どうしてそんなことをしているのかまるで思い出せない


遮光カーテンのおかげでうすぐらい朝しか知らない
寝ぼけ眼がいまわの際まで続いていきそうだ
どうしてこんなにも餓えているのに
なにかを口にしようという気持ちにならないのだろう
ちぎれかけた銅線がわずかな振動でほんの一瞬
忘れかけた通電をしているかのようだ
ああ、こどものころに
外れかけたコンセントプラグに触れたときのあの得も言われぬ痺れ
表皮だけがすべてを覚えている


雨の日の記憶は
思い出すたびに溶けていく
気づけばいつの間にかすべてなくなってしまっていて
あしもとに水溜りだけが残されている


強い風にあおられて剥がれかけたトタン板が
アフリカン・パーカッションのようなビートを投げかけている
文化と文明が申し訳程度に分けられたこの街で
なにも選べなかった連中のために鳴り続けている
踊れ愚者、踊れよ愚者と
そのむかし携帯電話で書いた詩の一節を思い出す
あれはきっとこんなようなリズムを思いながら書かれたのだ
二十年前の記憶が現代のように生きる


過去は、人生は、感情の数々は
がらんどうの
朽ち果てた聖堂のような場所で
淡雪のようにゆっくりと積もる
音もたてず
取り立てて目を引くようなものもなにもなく
ただゆっくりと落ちては積もっていく
見上げるほどにうず高く積み上げられても
それがこちらに向かってなにかを語るわけでもない
どれほど積もってもどこか心許ない
そんな蓄積はどんなことを語っているのだろう
忘れられた場所のようなそんな空間は
誰にも出会えない街を歩いているときの気持ちを思い出させる


いつか
記憶はなくなる
いのちはなくなる
なきがらは燃やされて地下に押し込まれ
不在をかたるだけのものになる
感触としては忘れ去られ
ただそこにあったというだけのものになる
書き残された詩文が
痕跡だなんて思ってはいけない
それがほとんどのことを語り残しているからこそ
新しい旋律がまたつづられるのだ
なにも描かれないページを
うつくしいと思うことは間違いだ
それは赤子の純粋さと同じで
尊いけれどもどこへも行けはしない


もしも俺の肉体が終わりを迎えたなら
どこか見晴らしのいい場所に投げ出してくれ
そしてカメラを回して
骨になるまでの一部始終をすべて記録してくれ
雨に洗われて白く輝いたとき


そのときに初めて死んだと記して欲しい









自由詩 あらゆることが語り尽くされたあとに Copyright ホロウ・シカエルボク 2017-12-01 21:55:08
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