11月18日秋葉原で
ただのみきや

十一月十八日 江戸 秋葉原
野次馬たちの視線を七色に乱反射させ
聳え立つは巨大なギヤマンの壺
その目もくらむ頂上の 縁を走る 影二つ

永久脱毛された花魁姿のゴリラ
追いかける血まみれの巡査

幅二尺半ほどの滑りやすい壺の縁を
追って追われてグルグルと
掴み合ってはまた離れ
もう半時も捕り物は続いていた
太陽はゴッホだったが
巡査はムンクのようには叫ばなかった
すでにサコツもアバラもやられ
マエバを空にまき散らし
ヒダリメもだめになっていたが
《――十一月十八日が殉職記念日になっても構わない
これ以上生きて恥を晒すよりは良い――》
ゴリラと対峙した時そう思ったが 
それが俄かに現実味を帯びている
殉職するために警官になったと言っても過言ではない
子供のころテレビドラマで次々に殉職して往く刑事を見て
始めて 恋をした 
殉職する 未来の自分の姿に
生き残る刑事は醜い
生きたまま逮捕される犯人と同じくらい
美しい片言の台詞はみなほつれて
河原の芒のように空しく月に触れようとしたが
《――転落だけでは単なるミスだ
格闘・説得・致命的出血・不可避で不幸な偶然が必須だ》


秋晴れの空にオーロラの輝き
ギヤマンの壺の中は血のようなボージョレー・ヌーボ
酔っ払いの生首がいくつも浮き沈み
なんともウラメシヤな流し目でこちらを見上げている
《神曲・地獄編 第十歌「あたし飲み過ぎちゃって」地獄
――酒に酔う人が落ちる地獄ではない
酔っぱらったふりをしてやりたい放題
後から「酔っぱらっていたから覚えていない」なんて言う
好き者の男女が墜ちる地獄――んふっ……んふふっ……》
息を吸いながら笑う巡査は朦朧とし
いまや一町角もある白紙の広がりに
辞世の句を書き連ね句集がいくつも出来上るほどだった
戯言すべてが自由律の虫となって這いまわっている
世界は極度な散文化の果て分子構造そのものが緩くなり
海の真中で筏がバラバラ 離れて漂う流木と化していた
降りてくる海鳥たちに啄まれ
眼孔も乾いて見上げる白い雲
――一瞬 別の誰かの人生を生き終えて巡査は
《自分の喀血を裏表紙に散らして落款代わりにしよう……》


ギヤマンの壺の外側にはお江戸の老若男女が押し寄せる
「十年に一度の見世物だってよ! 」 
「これを見逃したら次は2027年だって! 」
エログロ猟奇でどこか歌舞伎チックな二人の絡みを
人々は五平餅やみたらし団子を食べながら見物していたが 
挑みかかる警官が血飛沫上げて吹っ飛ばされる
そのたびに拍手喝采巻き起り
みなが御捻りを投げるものだから 
ギヤマンは くぐもりつつも涼しげな 
風鈴とグラスハープを合わせ持つような声で 
過ぎし日の夏を歌った
夏祭りも 盆踊りも 夏フェスも
すべてが作り物の脳内バーチャルに過ぎない民衆が
いま自分自身に放火して一つの物語を炎上させていた
ギヤマンの二人も 遠目には
ペアで踊っているようにも見えるのだ


ゴリラは遠くアフリカのツガルから連れてこられた
ローランド・ゴリラの豪族の一人娘だった
悪い男たちに麻酔銃で撃たれ 
全身剃毛の末 永久脱毛され
人間の女として吉原へ売られた 
その種のマニアにはアニマとしてすぐに売れっ子になったが
ゴリラは武家より遥かに誇りが高い すでに十五人
グシャッと殴りベチャッと潰しブチっと千切り
さんざん殺していた
いま彼女はギヤマンの塔に登り
かつて偉大な族長がエンパイアステートビルでしたように
激しいドラミング・ソロでシャウトしながら
人間の人間による人間のための馬鹿げた文明のアンチテーゼとして
転落することを予感しながら尚 清々しくさえあった
《――あとはこの目の前の男が拳銃を発射すれば
わたしは美しく螺旋を描きながら落下して
大地との衝突で肉体という牢獄を壊し
魂は自由の翼を得て故郷ツガル・コンゴの森へと還って往く
早く撃っておくれ さあ 早く……》


拳銃があればとっくに撃っている 
だが今日に限って拳銃を忘れて来た 否
いつの間にかホルスターが空になっていた
持っている武器は警棒だけ 
それもあまり硬くならない大人の玩具のような警棒で 
花魁姿のゴリラと殴り合う
殉職したい警察官
転落死したいゴリラ
どちらも決定打を欠いたまま
放り投げたコインが墜ちて来るのを待っていた 
日も傾きかけた頃
野次馬一人一人がみな松明に姿を変え ついに
ギヤマンの壺は炎上した
炎上は珍しくもなく
恵みもなければ は組もない 祈る者すらいやしない


遠く 天守閣から遠眼鏡で覗いていた
将軍様は 『生類憐み症』の発作で
脇の下から烏賊の脚をブラブラさせながら
お抱え力士(相撲警察)に殉職甚句を歌い舞わせ
燃え上るギヤマンの頂上決戦を見つめていた
おもむろに右手を差し出すと小姓力士が拳銃を――
ニューナンブ・リボルバー・二十二口径
昨夜 隠密力士に盗ませた 巡査の拳銃を手に握らせた
そうして左手を差し出すともう一人の小姓力士が
拳銃と一緒に盗ませた警察手帳を手渡した
将軍は動物愛護の心と この あまりに直向きで熱心な
巡査へのい思いに引き裂かれそうになりながら
ミシミシと奥歯を噛み締めるように言った――
「たとえ北の将軍がミサイルを撃とうとも
余は 野蛮で醜い兵器は使わない!
美しい国民こそが美しい国をつくり国を守るのだ! 」
言い終わるや否や試し撃ちとして力士を一人撃ち殺し
むっちりとした 腰元力士の白い腹から
流れる血を 視線でぺろりと舐めた
そして 老中力士に警察手帳を持たせると
カッ と目を見ひらいて――
「その手帳を余の前に放り投げよ! 」
老中力士は力加減のあまり脱臼するほど気を遣い 
弧を描き 将軍の構えた銃口の数間先に落ちるように
絶妙に 丁度良く 放り投げた――
黒い手帳 あの巡査の 警察官としての良心が
パラパラページは捲れ 巡査の記憶と心の
襞を 風が梳かすように 手帳が いま銃口と 一直線に――

弾丸が手帳を撃ち抜いた時
巡査は死んだ 振り上げた 硬くならない警棒を 
下ろす間もなく クルリと半身 
踊るような動きで 視線も
墨も付けず宙にひと筆 たゆたうように
残光の油膜が脳裏を染め
落ちて行った――


炎と煙の中 残されたゴリラは
黒く灰になる魂の向こう側に
真白な空白が広がるように感じた
いま此処に己が違和として存在し
相殺される相手を欠いた以上
ピリオドを打つためには何等かの転位が必要だった
生き残るものは悪
殺されるものも悪
転落死はもう売り切れている
結論は出さない 出さないが良い
放棄せよ 考えることを 放棄せよ
内側へ 内側へ 収縮し 己の核へ


ゴリラは琥珀石となり
蕩けたギヤマンの中で胎児のように時を止めた
それは秘密裏に
大奥の奥の奥 その奥の間へと運ばれた

全身が眼で満ちたお世継ぎを抱いて
顔のない奥方が琥珀を見つめている
《美、醜よりいでて
醜、美よりいづる――》
お世継ぎが笑った
――万の三日月 一斉に




                    《2017年11月18日》













自由詩 11月18日秋葉原で Copyright ただのみきや 2017-11-18 16:31:11
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