メモリアル・ムーン
ホロウ・シカエルボク
ジョディ、おまえが産まれたのは
数十年に一度の月が太陽のように夜空で燃える
八月の終わりの夜だったね
いま、開け放たれた窓から見える月は
あのときのものほどではないがそれでも
やさしくこころを溶かすようなうつくしい満月だよ
あの夜、アニーはやつれた顔で
タオルにくるまれたおまえを抱いて微笑んでいた
産婆は疲れ果てて床に座り込んでいた
わたしは手持無沙汰で、だけど
おまえに出会えたよろこびにこころを躍らせていた
あれほどのひかりに満ちた夜は
後にも先にもただ一度きりだったよ
おまえが五歳のときにアニーは家を出て行った
まだ若かったわたしは自分の悲しみに手一杯で
おまえの無邪気さをすこし疎ましく感じていたかもしれない
ママがいないことの悲しみはおまえにももちろんあっただろうが
それはわたしが知っている悲しみとは違う種類のものだった
わたしは捨て犬のような気分で
おまえの食事をつくり
おまえとわたしの着ているものを洗った
妻だった女のクローゼットはどんなことがあっても開けなかった
おまえは信じられないほど元気な子で
頑なに髪を伸ばすことを拒んだから
ズボンを穿いて駆けまわっているとまるで男の子のようだった
学校でケンカをして男女構わずやっつけて呼び出されるたびに
「男手ひとつで育てているもので甘やかしすぎたかもしれません」
そんなことを言いながら教師や相手方の両親に頭を下げていたんだよ
でもわたしがそんなふうに言うと決まってかれらはわたしを気遣い始めて
しまいには「わたしらの子にも悪いところがあったかもしれませんから」なんて水に流してくれた
あのときはそれが正直さだと思ってそんなふうに詫びていたけれど
それはもしかしたらわたしの生来的なずるさだったのかもしれないね
おまえが髪を伸ばし始めたのは
ハイスクールに行きだしてからだったね
身体つきも少し女らしくなってきて
男の子みたいに怒鳴ることもなくなった
すこし頑固だったけれど素直ないい子だったよ
家事を手伝ってくれるようになって
おかげでわたしはずいぶんと楽をすることが出来るようになった
おまえが変わり始めたのは二年目の春からだった
綺麗なプラチナブロンドをおぞましい色に染めて
はしたない服を着て夜遅くまで出歩くようになった
「悪い連中と付き合っているようだ」と近所の奥さんに教えてもらった
何度も口論をしたね
おまえは一度も謝ろうとはしなかったし
わたしは一度もそれを許そうとはしなかった
わたしの心臓が悪くなってからは
おまえが帰って来るまで起きていることも出来なくなった
足枷のなくなったおまえは
さぞかし楽しい毎日を過ごしていたのだろうね
たまに家の中で顔を合わせても
おたがいに目すら合わしはしなかった
わたしは自分の部屋にこもって
ままならぬ身体を呪いながら
おまえが産まれた夜のアルバムをずっとめくっていた
同じ家の中でおたがいのことを知らぬまま
何年もの時が流れた
わたしは心臓の手術をすることになり
半年ほど家を空けた
おまえは一度も見舞いに来なかった
そもそもわたしも
どこの病院に行くのかすら教えてはいなかった
ある日、車椅子に乗って
検査を終えて病室へと戻るとき
産婦人科の待合に若い男と腰を下ろしているおまえを見かけた
おまえはずっとうなだれていて
時代遅れのテディ・ボーイみたいな恰好をした男は
脚を組んで退屈そうにずっとガムを噛んでいた
わたしはおまえに失望しながら車椅子を回した
病室までの廊下がとても長く感じた
わたしの一生がそこで終わるかと思えるほどに
家に戻って最初にしたのは
からの酒瓶まみれのキッチンを片付けることだった
すぐに息が切れて何度も休まなければならなかった
久しぶりにいえに戻ってすぐ
なぜこんなことをしなければならないのだ
わたしは怒りに打ち震えていた
それから数ヶ月は何も起こらなかった
わたしはつとめておまえのことを考えないようにしていたし
機械的におまえの散らかしたものを片付けるだけだった
だがある時酒瓶の下に
アルミ箔に包まれたドラッグを見つけたとき
わたしは悲しみの果てにあるもののことを知った
それは凶暴な感情だった
それからというものわたしは病院に通うついでに
いろいろなひとにおまえのことを聞いて回ったよ
おまえのことを尋ねるたびにみんなが
苦虫を噛み潰したような顔をして話し始めたんだ
わたしは絶望の中でかれらの話を聞いたよ
なかでもおまえが金を作るために
身体を売っているという話を聞いたときの気分といったらなかった
幼馴染のコニーがおまえに教えたんだってね
あのくだらない遊びについて
彼女はすでに償いを済ませたよ
材木置き場で頭を失くして
マネキンのように転がっている
おまえが産まれたのは
数十年に一度の月が太陽のように夜空で燃える
八月の終わりの夜だったね
いま、開け放たれた窓から見える月は
あのときのものほどではないがそれでも
やさしくこころを溶かすようなうつくしい満月だよ
青ざめたおまえの顔はわたしの膝にあり
おおきく開かれた目は叶わなかったいくつもの夢を見ている
おまえの顔を撃つことだけは出来なかった
心臓はすっかり失くなってしまったかもしれないが
こうしておまえを抱くのは何年ぶりのことだろう
なにが間違いだったのかもう判らない、判ったところでどうしようもない
わたしの血は決壊した堤防から溢れる水のように
血管の中で激しく暴れている
なのに額から流れるのは氷のような冷たい血だ
ずっと流れることがなくて胸の奥底で凝固した涙が
呼吸を奪おうとしているかのようだ
わたしはおまえのからだを苦労して起こし
寄り添うように壁にもたれたあと
まだ硝煙のにおいがする銃口を顎に押し当てる、アニー
アニー、もしかしたら
きみがいちばん正しい選択をしたのかもしれないね