【批評ギルド】『秋葉原』オリコ
Monk

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この詩は秋葉原が「アキハバラ」とか「アキバ.com」の人にするとぜーんぜん
しっくりこないんだろうなぁ。「キミにメイドカフェとか言ってほしくないの
だよ」とか思うかもなぁ。違うから。これは「秋葉原」だから。しらゆきふる
秋葉原だから。だれもまぶしい光の中に逝かないし、素敵なサムシングもない
から。

七五調に近いリズムは読むリズムを刻んでいるというよりは僕にとって漢字の
秋葉原の雰囲気を感じさせるのに一役買っている。読むリズムとしてはちょっ
とつっかえる。一歩一歩ゆっくり歩いている感じ。「神田川 街に 消される
前に」のところはかなり好きだ。僕にとっての秋葉原における神田川は万世橋
から眺める川であり、あそこから先は秋葉原ではないんだなぁという境界線の
ようなものだ。その先に肉の万世があり、1Fにあるラーメン屋のパーコー麺
はうまいよ。余談じゃなくて、あのアキハバラの世界から抜けるような感覚が
あるあの橋が好きだ。暗くなると電気街の電力と対象的で街灯は灯るのにすご
く暗い。「街に 消される前に」ってのがやっぱりいいなぁ。

作品に書かれる二人は大学生みたいだ。もしくは片方が浪人生かな。お茶の水
か明大か順天堂かわからないけどあのへんから秋葉原までゆっくり歩いていく
光景。ゆっくりと流れる時間。そういう時間は良いね。何年かして振り返ると
良い時間だったなぁと思えるのだ。この作品も振り返って書かれているような
感じがする。
最終的には秋葉原でお別れ。また明日。いいなぁ。いいなぁばっかり言ってる
な、おい。最後にしらゆきを見るのを忘れちゃってて、まったくじゃあ何を見
てたっていうんだよコンチクショウとか。この「しらゆき」も白い雪じゃない
のかな。何か別のものかな。舞い上がる塵とかハトの群れとかそんなものかも
しれない。でもわからない。わかるのは「わたし」だけだ。「わたし」だけが
わかっていればよいのだコンチクショウ。

僕は逆に秋葉原から神保町のほうに歩いて蕎麦屋に行ったりするのだけど、そ
れもけっこうゆっくりした時間を感じられる。だから余計にうなずく部分が多
い作品なのかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】『秋葉原』オリコ Copyright Monk 2005-03-10 22:04:56
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