濡れた火の喪失
ただのみきや
すでに起きたのか
これから起きることか
おまえの吐息 ひとつの形のない果実は
始まりと終わりを霧に包み
不意に揺れ 乱れても 損なわれることのない
水面の月の冷たさへ
わたしの内耳を しなやかに しめやかに
遡上する 視線を潤ませた青い蜥蜴のように
網の目を潜り抜けた
こころとからだ その糜爛した垂れ幕の
衣擦れよ
死産した喃語
干からびた嬌声
螺旋に封じられたまま
不在の真珠からほとばしる幻の海 骨灰よ
分別もなく癇癪持ちの子供になって
幸福のあらゆる模型を壊し尽くす
御守り袋の中身を次々と引き出して
飴玉の包みを剥すように
舌の上でころがして 甘ったるく
溶け去るものばかり
自らに帰した
ひとつの遊戯
回り道をした
何度も同じ道を 忘れたふりをして
彫刻のような額を覆う 両の手の
乾いた土くれは 崩れ落ち 枯れ果てた根は顕わ
再び雨に打たれても もう
なにも感じない
すでに起きたのか
これから起きることか
今朝 街路樹はムスリム女のよう
目には見えない蜻蛉が∞になって
命を繋いでいるのか 光が 少し捲れ
余所余所しくそよいでいた
疑いもなく 死にたがり屋の目が
懐かしい男が 景色の隠喩の向こう
焼け焦げた音楽のように笑っている
揺らめく姿を掴み損ね
溺れる匂い
振り向けば 扉は閉じて
《濡れた火の喪失:2017年5月3日》