夢夜、二 「春祭りの日に」
田中修子
私は女刺客として育てられた。
数百年この国は、贅をつくす不死の王家に支配され、民草は汁を吸われつくしてきた。
老人も、働きざかりのはずの男女の顔も、暗い影におおわれている。聞こえて来るのは溜息か、狂気の笑い声だけだ。子どもや赤子は病にうばわれ、めったにみかけることがない。
数百年の間、もちろん何回も王家に反旗をひるがえした人々はいたが、成功したことはない。いずれも、直前に指導者が王家側に寝返るか、あるいは正気を失って部下を虐殺し、みずからも死んだ、と言われている。
そんな、滅びへの道しか見えない国でも、他国からの侵略を受けぬどころか、若い奴隷や食糧、香辛料、宝飾品などの貢ぎ物が毎月港に届けられ、王家の住まう赤珊瑚の塗られた紅城だけはいつも輝いていた。
不死の王家による不思議な力は、いまやこの国だけでなく、他国を飲みこもうとしているのではないかと思われた。もっとも、その他国とやらも、知識人が殺されつくし、焚書がされて久しいいま、どんな国であるのか知るものなどいないのだが。
疲弊したこの国で、私は最後に革命を起こそうとして気が狂い、自分と妻と一族を殺した指導者の子どもだった。
父の体は赤子の私の前で実がはぜるようになっており、赤い血にまみれたその中で、私がひとり、バラバラになった父の指をしゃぶりながら、生き残っていたそうだ。
運命の子である私は、革命家の仲間である老女に引き取られ、地下の白骨堂に忍んで生きてきた。
残された本にこの国や外国の歴史を学び、人を殺すすべはすべて教えられた。
それだけに受けた生であったから、地上の世界はあまり知らない。
私が殺さねばならない、特に不思議な力の強い王家の四人の肖像画は、白骨堂に飾られていた。
桃色につやつや光る頬をして、でっぷり肥った、しかし人のよさそうな顔をした飽食の王。
人々の血税から作り上げられた、宝石で編まれたドレスをまとうきつそうだが賢そうな顔立ちの女王、まだ十代になるかならないかの、無邪気に笑うかわいらしい王女。
大理石作りの湯殿で、豪勢な花を浮かべて湯浴みと女遊びをやめぬという、そうは見えないどこか儚げで柔和な顔立ちの王子。二十になるかならないか、私と同じ年頃であろうか。
老女とふたりきりの白骨堂で、動かぬ肖像画の王家の四人は、まるで私を見守る、私の家族のようにも思われた。いずれこの手であやめなければならぬ、愛しい家族。
その日はやってきた。
私を育てた老女が、大きなきれいな包みを持ち、いつもと違う優しい様子で私のもとに来た。
私の、修行でズタボロになった、着慣れた服を脱がし、良い香りのする湯を染み込ませた布で体を拭く。そうして、見たこともない、銀色の華やかな衣装を着せてくれた。伸ばしっぱなしのボサボサで、腰まであった髪もよく梳かれて高く結われ、とりどりの簪が刺され、唇に紅を引かれる。老女が私の顔を両の手で包み、自分の命を注ぐような強い目で、私に告げた。
「時が来た、春祭りの時がきた。
お前の、陽に当たることが少ないから透き通るように澄んだ白い肌。そしてその凛として素晴らしい容姿。
王家は春祭りの日に空を掛ける牛車に乗って国中を巡り、春祭りに浮かれる美しい若者をさらい、王宮にて贅を尽くさせ、最後に血を吸って不死を保つという。
若者の少ないこの国で、お前は必ずや王家の贄に選ばれよう。
お前には私の全てを授けた。
この着物は私の子どもの夏の婚礼の衣装になるはずだったが、その前の春祭りの日にさらわれて帰らぬまま。私の子どもの婚約者は首をくくった。
お前の家族、私の家族の呪い、そして祈り。お前にはすべてがかかっておる。さあ、外へ」
「長い間、ありがとうございました、師よ」
私は礼をした。皺の深い師の顔がはじめてやさしくゆるむ。
簪で、師の耳から脳にかけて貫いた。
ゆっくりと崩れ落ちる師を深く抱きしめ、寝かせた。
時が来たらそうする約束であった。白骨堂に、師の呪いも祈りも、はじめは腐敗しても、やがては白くなって眠ることだろう。されこうべは否応なく、深い笑みを浮かべていることだろう。
白骨堂から、祭りの広場へ続く地下通路を通り、外への扉を開けた。まぶしくて目をしばたく。やわらかな陽の光、そうして花の香りが満ちる。
私の目の前に、豪奢な赤い絨毯が引いてあった。
その先には牛のいない、つややかに光る牛車が待っていて、扉が開いている。
絨毯の両端には、黒く艶やかな肌の異国の奴隷がズラリと並び、
「トキガキタ、トキガキタ」
と歌い舞いながら、籠に入れた紅や白の梅の花を惜しげなく空に舞い上げた。
「ドウゾ牛車ニオ乗リニナッテクダサイ、王宮カラオ迎エニアガリマシタ」
中でも位が高いであろう侍従がうやうやしく私にお辞儀をした。紅と白の梅の花びら、ひらひらと私の上に舞う。
祭りがあるはずの広場は他に誰もいない。
-師と私がしていたことは、すべて無駄だったか。王家に見抜かれていたか。王宮で私を待つは、首を切り落とす処刑台か、命がはてるまで続く拷問か。
約束を果たせないのは悔しいが、 私を育てあげ、彼女のすべてを注ぎ込んだ、愛しい師を殺した私には、ふさわしい終わりではないか。
牛車に乗る。いないはずの牛のひずめの音がして、牛車が浮くのが分かる。
硝子窓から覗くと、後ろから淡い布を首にかけた侍従や奴隷が、青い空にふわりと浮いて踊りながらついてくる様子は、幼いころ老女に読んでもらった、他国につたわるおとぎ話の天女のよう。
下を見ると、貧しい街や枯れ果てた畑の灰茶の中に、不自然にくっきりと浮かぶ目出度い紅白の梅の木が見える。
低い距離の薄っすらとした、刷毛で白を塗られたような雲の上をかけぬけて、紅城が見えてきた。屋根も、壁も、いくつもそびえたつ塔たちもすべて、赤珊瑚をすりつぶしたもので塗られているが、民の血をぶちまけたようにも見えた。
やがて紅城の中に、巨大な庭園が見えてきた。赤に、緑に、目が眩しい。庭園の中には、迷路である緑の生垣の刈り込みが見える。
その中心、まぶしいように噴水がきらめく場所に牛車はふわりと着地し、勝手に扉が開く。天女たちもつぎつぎと降り立ち、いそいそと真向かいの白い天幕に向かって赤い絨毯を引き、また花を散らす。春の日にしてはなまあたたかすぎる風が吹いていた。
天幕の下ににいたのは、王と女王と王女であった。
王はげっそりとこけた頬で、くちゃくちゃぺちゃぺちゃと、肉や酒を口にしている。
女王と王女は噂通り、豪勢な宝石で編まれた、首元まで多い隠すずっしりと重そうなドレスを着、絹の手袋までつけた隙のない美しいいでたちだ。しかし、女王は淡い桃の扇、王女は薄荷色の扇で顔を隠している。
あの、儚げな王子はいない。-あなた、どこにいるの?
「わが家族で一番の、賢い嫁よ。よくぞ、よくぞ、またぞ長い時を経て、ワシらのもとに帰ってきた」
むしゃむしゃと肉を食いちぎり、酒を飲み、つっかえながら、王がひからびたような声でいう。
「またよく帰ってきましたね。あたくしの息子の妻よ。こんにちもまた、心より歓迎しようではありませんか」
かすれてはいるがとても品のある発音で、女王がいう。
「義姉さま、おかえりなさいまし。いつかのようにまた、わたしと遊んでくださいませね」
咳で喉をつぶしたような声で、王女がいう。
女王も王女も扇で顔を隠していて、扇にさえぎられ風にふかれ、声はかすれてどこかへ飛んでゆきそうな気配だ。
けれども、その声には、本当に私を歓迎するこころがこもっていた。
なぜだろう、初対面のはず、それも殺さねばならぬ相手なのに、私も多くを分かちあった家族に迎えられたような気がし、突っ立ったまま涙があふれてだして止まらない。なみだが頬をつたい、ぽた、ぽた、と落ちる。
ゴウっという強い風が吹いて髪の毛が頬を叩き、我に返った。
唇を噛んでうなり、噛みつくように、女王と王女に問う。
「歓迎するというならば、扇に隠さず、顔を見せろ。その扇の陰で、ニンマリと笑っているのではないか」
女王と王女は身じろぎをした。そして、そっと扇を伏せた。
ふたりとも真っ黒にしなびた、ミイラであった。
「もうよろしいわね」
女王がそっと言った。
「わたしたちがこのようになり果ててしまいましたのもお忘れですか、お義姉さま」
王女が眼窩から流れない涙をぬぐおうとする。ひらりと落ちた手袋から、真っ黒に枯れた枝のような手指が見えた。そうしてふたりは扇で顔を隠す。
「さ、あたくしたちのことはあとで良いでしょう。あなたの到着をいまかいまかと待っているのは、あなたの夫ですよ。さあ、湯殿へ。湯殿の場所は覚えているでしょう。体の弱いあの子が、よくつかりにいっていたあの湯殿よ」
私はゆっくりと、緑の生垣の迷路を抜けた。ここを右、左、左、というように。ひとつ間違えれば出られないような複雑な場所を、婚礼の服をきた私の足は確実に抜けてゆく。
白い柱に囲まれた、白い巨大な四角い湯船だった。
そのまわりを、黒い肌をした奴隷たちが透き通る布を着て踊っている。黒いたわわな乳房が揺れ、足につけられた鈴がシャラシャラと鳴る。
湯船の中心に、服を着たまま突っ立って、こちらに腕を差し伸べている男がいる。白い顔に赤い唇の美しい、儚げで柔和な様子の。
そのころには私は駆けだしていた。
「あなた!」
「僕の妻」
温かい湯の中、足元をびしょぬれにしながら抱きついた私の耳元で、王子がささやいた。
この細いけれど強い腕を忘れていたのは、なんで?
薄くて上品な形の唇からでるいとおしい声を忘れていたのは、なんで?
長い、長い抱擁が終わり、王子を、いや私の夫を、改めて見る。
彼は何も変わっていない。銀の刺繍がしてある、まるで私とおそろいの婚礼の衣装のような服を着て、湯船の中に立っている。
「あなたにはお変わりはないようね。お父様とお母様、そうして可愛い妹の変わりようには驚いたけれど……」
「僕はこの湯殿から出られない。出たとたん、乾き果てる苦しみが永遠に続く」
静かに夫が言う。
「覚えていないのかい? 僕たちのうけた罰を」
そして私はすべてを思い出した。
すべてだ。これまでの私の、幾度も幾度もの生を。
遠い、遠い、数百年のはるかむかしだ。
この王たちは素晴らしい治世をおさめ、国はいままでにないほど豊かになった。特に王子が生まれてからは、十数年近く、実り豊かを約束する晴れ、そして雨の素晴らしい気候が続き、王子の生誕記念に国中に梅の木が植えられた。自国もたわわに平和であり、他国との付き合いも、争いのない豊かなものであった。
やがて国民たちは怠惰になった。この奇跡のような王政が続けば、必死に働く必要などないのだから。
王家の永遠の存続を、不死を求める声がひそやかに国をおおう。王家も、それにこたえようとした。
国をあげて、あらゆる秘薬がためされた。
その中で少しずつ、王家は狂っていった。あたりまえだ、薬と毒は紙一重で、毎日それを自分の体で試すのだ。民のための不死が、やがて民をさらい血を浴びるような外法となっていった。民も、そして他国も、王家を懸念するようになった。
秘薬に詳しい国から嫁として、この国の王家の暴走を止めるために送り込まれたのが私だった。必要ならば刺客として、王家すべてを殺せる秘薬の知識を持っていた。
そこで、間違いが一つ起きた。
私が、王子を、この家族を、この国を愛したのだ。そうして、不死の薬の完成を手伝った。永遠に愛する夫と、家族と、この国といるために。
不死の薬が完成したと思われた時、王と女王と王女、そして王子、私は、その祝いの盃を飲んだ。
天からの罰だったに違いない。その瞬間、王家は、不死に近いものは得た。他国を操るような、なにか不思議な強大な力も得た。しかし、天候は荒れ果て、病が蔓延し、国はいっせいに滅びへの赤い道を駆けだし始めた。梅の花が咲くことは、その日から数十年なかった。
王は餓えに苦しみ、常にものを食べ続ける。
女王と王女は美貌をすべて失った。
王子は、弱い体を癒す為によくつかっていたこの湯殿から出れば乾いてもだえ苦しみ、それでも死ぬことはできない。
その中で私だけは、一見、何も変わらなかった。
数十年、荒れ狂う天候の中、必死に治世をしき、苦しむ家族をそばに、不休で不死の薬の解毒薬の研究を重ねながら、年老いていった。そうして、しわくちゃの老婆になり、湯殿の中で夫に抱きしめられ、
「幾度生まれ変わろうとも、必ずあなたたちを救う」
と言い残し、春祭りの日に死んだ。その年から、何かしるしのように、梅の花は毎年咲くようになった。
次、私は平民の男として生まれた。物ごころついたころから、なぜだか、王家を滅ぼさなければならないという強い信念を持っていた。私は春祭りの日に革命を起こし、城にまで侵入した。その私を王家は、やっと私たちを殺してくれると涙を流して迎えた。私はすべてを思い出し、その場で自害した。
霞む目の中に、かなしみにむせぶ夫の顔を忘れない。
次も、次も、その次も、傾いていくばかりのこの国で、私は幾度も王家を滅ぼそうと、この苦しみから夫を、家族を解放しようと生きて死ぬことを繰り返した。すべて、春祭りの日だった。
-そうして数十年が経った。
年老いた私の体には力が入らず、夫に静かに見守られながら、あたたかな湯船にひたっている。湯とともに、ちりばめられた梅の花びらが体にゆるくまとわりつく。黒い肌の奴隷が、しゃらんしゃらんと鈴の音をさせながら静かに舞う。
「また、必ず、来ます」
夫の目を見ながらささやく。
「きっと、あなたを、殺しに。春祭りの、日に」