エスカリエの沈黙・試論
ハァモニィベル

エスカリエの沈黙・試論


、林檎を齧りながら
 本を読んで いました。

そして、静かに、

 手を伸ばせば取れるほど
 真近かに
 林檎は
 赤く光って いました。

今にも

 太陽系の平衡が破れでもするように、
突然、天上に向かって
落下する気配もなく。

林檎は 齧られながら、
本もまた 読まれながら 
そうしていました。

 「林檎 と云う果物を忘るる事は
  とうてい文芸家には できんのであります」―と、(漱石)は
 言っていました。

林檎を齧られながら、本は読まれつづけていました。

   「だって、だって、母様、母様がなさる様じゃないもの、
     神様は 母様のようじゃないんだもの」

 《蜂と 風と は、そのとき
  林檎の枝に 音を立てて
居た―と、いいます。
 もう五月になったのだ。
 庭にはあなたと母様と
 ただ二人、
 真白な花びらが雪のように 乱れて散る。》

と、(夢二)は
 そう語っていたのでした。

すると、この時。
大きな柱時計が
 静かに十二時半を報らせます。

  「それは、云わば ニュウトンの足もとへ 
   林檎の落ちたのも同じこと である」

と(あの人)が言うように、 ・・・そうだ、
 お昼を食べよう と 思いつきました。

そして、
午後もさっそく

   《今のところ この林檎だけが 彼の朝飯だが》

という
 (誰か)の一節から、読み始めたのです。

古い探偵小説論の冒頭を読んだときなど、
さっきの林檎の匂いが
かすかに ほんのり してきます。

ラテン語で書かれたすべての哲学書がいつでも イヴの犯した罪
なしには 書きはじめられなかったように、ドイツ語のあらゆる
哲学書も 歴史の末にあるという 最後の審判なしには その本
を書き終ることができない。
哲学の本はいつでもこの 古い林檎の臭いがしている。
     (中井正一 「文学のメカニズム」より)

林檎を齧りながら
本を読んで いたのでした。

そうです。そう、でした。

ジャズの中に 切れ切れにされたチャイコフスキーがあるように( 同 )

「ジョーは、林檎をかじりながら本を読んでいました。」(若草物語)



自由詩 エスカリエの沈黙・試論 Copyright ハァモニィベル 2017-01-27 08:39:49
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