アンドレ・クルツが来るまでは
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 長命寺幼稚園は、石神井公園駅から、歩いて七分ぐらい。
 ぼくは三年保育で、その幼稚園に通った。
 通常は、二年保育。早生まれだったから、三歳のころから、園児だったのだ。
 だから、年長さんになるころには、顔がきいた。ジャングルジムでも、砂場でも、ブランコでも、威張り散らしていた。
 アンドレ・クルツが来るまでは。
 卒園まじかのころ、白っぽくて、髪が茶色で、体のでかいやつが、同じ組、年長のすみれ組に入ってきた。ドイツ人だという。
 園児だったから、ドイツ人が何なのか分からなかったが、アンドレは「ぼくはドイツ人」と日本語で言っていた。
 ジャングルジムでも、砂場でも、ブランコでも、アンドレは、ぼくに従わなかった。園内で、そういう子は、他にいなかったので、ぼくは、アンドレの扱いに困った。
 ある日、アンドレと、言い争いになった。言い争いの途中から、アンドレが、何を言っているのか、分からなくなった。
 今思えば、ドイツ語で、喚いていたのだろう。ぼくは、ドンと、アンドレの胸を突いた。
アンドレは、転んだが、青い目で僕をにらみ、段ボール箱に入っている積み木のひときれを、ぼくに向かって投げた。カツンとぼくの頭に当たった。痛くはなかった。でも、血が出た。
ぼくは、リノリュームの床に、落ちる赤い点々にびっくりし、泣いてしまった。
 以来、長命寺幼稚園は、アンドレの支配下におかれた。
 園児たちは、ぼくに従わなくなった。
 卒園して、同期の子のほとんどは、谷原小学校に通うようになった。
 その小学校に、アンドレはいなかった。
 ぼくは、また威張りだした。でも、かつてのような、支配力は持てなかった。
 夏休みが終わった二学期の初めに、学級委員を決める投票があった。だれが、学級委員にふさわしいか、配られた紙に書いて、先生に渡すのである。
 先生は、投票された子供の名前を言いながら、黒板に「正」の字を書いてゆく。
 ぼくの票は、自分で書いた一票だけだった。びっくりした。自分の不人気に唖然となった。

「人生初の挫折」というテーマで、何か書こうとしたら、こうなった。


散文(批評随筆小説等) アンドレ・クルツが来るまでは Copyright MOJO 2016-09-28 12:08:11
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