月の村
AB(なかほど)

凸凹配位座はいつでも漂っていて
なにかの拍子に
繋ぎ合っている手のひらの合間にもある
ついさっきまで当たり前のことが
風ひとつ吹いただけで
何ひとつ理解できなかったり
その道理に畏れたり
わかっているふりをしながら
何ひとつわかってはいないのだろうけど
当たり前のように


田植えのすっかり終わった頃
いくつもの大きな鯉のぼりが風に吹かれ
子供の日を学校やテレビで教わった子は
指をさして不思議がる
月の暦では今からなんだ
五月晴れなんてのは今からなんだ
もしかしたら
細胞のひとつひとつに繋がっているかもしれないというのに
凸凹配位座がどこかですり抜けたんじゃないか

それでも


スクは
陰暦の六月朔前後に浜に打ち寄せられる
まだ一度も藻を食んだことのない稚魚でなければ
お腹の色が黒ずんでしまっては
いいスクガラスができない
日頃公務員をしている男でさえも
何日も前から目の細かいスク網作りをしながら
朔を待つ
銀色に輝くスクが美しいのは
まだ一度も藻を食んだことがないためだろうか
律儀にも月の朔に打ち寄せられるからなのか
とにかく光る波打ち際で
男達は嬉々とする


あじずしが浜町出店に並ぶ頃
親っ様の漬けた馴れずしがふるまわれ
キリコの灯が浜町をねり歩く頃
虫送りの火が畦道をねり歩く
やがて日が沈む頃
月が出るのを待っている
廃線脇で
次の電車と月が出るの待っている
虫の声と踏切りの音は
いつまでも
凸凹配位座で鳴り続けている


まだ当たり前のように
季節には穀物が実り、スクが浜に、人に感情が
まだ当たり前のように
月は空に

そんなにありふれてもらっても困るのだけれど

目を閉じた世界では
凸凹配位座はいつまでも漂っていて
地球のちぎれた塊でしかない月との合間にも
繋ぎ合った手のひらの合間にもある
そしてまだ当たり前のように
僕らの細胞のひとつひとつにすべりこんだりもする

    


自由詩 月の村 Copyright AB(なかほど) 2003-11-13 05:12:19
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