沈潜
葉leaf



転勤してから3か月が経った。仕事の質も量も変わったし、生活環境も変わった。それよりも、私は詩をあまり書かなくなった。インスタントに詩になる題材などいくらでもあるのに、それは言葉として、表現として外に現れることはあまりなかった。言うなれば、破堤するほどの波が来なかったということだ。確かに波は動いていた。だがそれは何も破壊せず、内部で動き続けるだけだった。

私は不毛な充足感を抱えていた。何も食べていないのに満腹であるかのような、そのような充足感である。なるほど内部では暗い波が満々とうねりにうねっている。だがそれは空虚な波だ。いまだに何ものにもなれていない未熟な波だ。だが、この言語により意識化されていない内部の暗い波は錯綜し、渦を巻き、独自の海流を生み出している。たとえ未熟で空虚であっても、徐々に深まり暗さを増していき、輻輳していく独自の波だ。

私は沈潜の時期に入ったのだろうか。快楽とともに波が破堤するにまかせ、その後の心地よい空虚を楽しむような表現の健康さに依存する時期は終わったのかもしれない。それよりも、言語により意識化されない内部の暗いかたまりがどんどん複雑に構造を備えていくのをじっくりと待つ時期。次の破堤は恐ろしい大災害だ、心してかかれ。


自由詩 沈潜 Copyright 葉leaf 2016-07-09 00:29:28
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