Miz 17
深水遊脚
戦いを楽しんでいる。模擬戦開始から5分くらいの政志さんと柏木の様子はそんな感じだった。互いに間合いをとりながら、足を止めずステップを踏みながら体を動かす。隙は見せない。睨み合いを延々と続けるようには二人とも出来ていないので、必然的にジャブの応酬となる。スピード感があり格闘技としてもそれなりに見応えのある戦いが繰り広げられているが、当人同士の感覚は世間話といったところか。この特殊能力を全く使わない基本中の基本のファイトにも性格は現れる。隙をつく巧みさ、嫌らしさで上回る柏木がいいパンチで所々主導権を握るが、政志さんもいちいちそれに動じない。最小限のダメージで交わし、逆に直後の相手の隙を突く、お手本のようなカウンターをみせる。致命傷を与えるレベルでは到底ないものの、打撃のダメージは柏木のほうが僅かに深そうだ。そのダメージが柏木に悦びをもたらしているようだ。打撃の巧みさ、スピード、威力すべてに磨きがかかっていく。
世間話のような感覚のときの二人の目付きが、しだいに動物のような生々しさに変わって行く。悲壮感にまみれた手負いのそれではない。夢中になれる玩具を得たときのものだ。双方ともに相手から目を離さず一瞬の隙も逃さない真剣さのなかに、相手に夢中になるときのとろけるような恍惚感が滲む。拳の突き合いだけだったものが、足技も加わってゆく。双方ともに足技で転倒させて固め技に持ち込む複合技をもっているので、激しい打ち合いのなかで虎視眈々と隙を狙う。
不意に政志さんの左手がだらりと垂れ下がった。そのぶん政志さんの左側にあからさまな隙ができたが、柏木はすぐには乗らなかった。変わらずに繰り出されていた右手の突きと右足の蹴りを交わし、喉元に手刀を打ち込んだ。まともに喰らった政志さんは倒れかかったが辛うじて堪えている。そのまま固め技に持ち込みたかった様子の柏木はうまく合わせることができず、逆に倒れこむ政志さんに右腕を掴まれてバランスを崩した。政志さんが倒れながら掴んだ腕を両脚に挟み、十字固めが綺麗に決まった。柏木の顔が苦痛と後悔に歪んだ。こう綺麗に決まってしまえば、普通の人間には逃げられない。関節を痛め付けられるわけには行かない柏木はやむを得ず特殊能力に頼った。腕から弱い電気を流し、政志さんの固める力を一瞬だけ弱め、腕を引き抜いた。
「どうした柏木くん。もうその戦い方をしてしまうのか。君らしくない。」
「お見事でしたよ。腕をへし折られるわけには行かず、不本意ながら力を使いました。でももう少し続けましょうよ。」
「構わないよ。力を使う戦いも、使わない戦いも、どちらも卑怯などではないのだから。」
立ち上がった二人は言葉こそ丁寧に交わしたが、眼光の鋭さは増すばかりだった。特に完璧に技を決められた柏木は悔しさを隠そうともせず、政志さんにタックルを仕掛けた。この感情の表出も理解していたかのように政志さんは柏木の体を真っ直ぐに受け止め、組み合った。数歩退いたものの、そこから政志さんの体は微動だにしない。逆に政志さんがじわじわと柏木を後退させる。柏木の足がもつれた瞬間を逃さす、張り手で柏木の体を浮かした。そして柏木の胸ぐらを右手で掴み、左手は柏木の右肘を握り、大外刈りを仕掛ける体勢になったが、柏木が政志さんの手を振り切り、体を外側に回転させながら胸ぐらを掴んだ手をはたいてほどいた。手をほどくときの反動を生かして勢いをつけ、回し蹴りを放った。これを喰らった政志さんが怯むあいだに柏木は政志さんから距離をとった。それ以降は再び突きと蹴りの応酬となった。
「なかなか見応えのある戦いね。安易に特殊能力を繰り出さずに、鍛え上げた人間の身体のみをぶつけ合う潔さはさすがだわ。」
春江さんが無邪気にそう言うと、
「呑気に格闘技の観戦気分でいるなよ。もう偶発的な特殊能力の発動がいつ起こっても不思議ではない状態なんだぞ。」
と幸政さんがたしなめる。親子が逆転したようなこの会話に一秒だけ俺も笑ったが、幸政さんの言う通り、状況は深刻だ。はじめから特殊能力を組み込んだファイトをデザインしている場合と違い、感情の昂りから偶発的にでてしまう特殊能力は危険だ。ましてやこの二人だ。過去に何度もそういう事態を引き起こしている。戦いの流れから目は離せない。そして幸政さんが発するサインに注意する必要がある。いまのサインは「烏(クロウ)」。待機だ。
不意に柏木が政志さんの蹴りのひとつを読んで、交わしながら懐に入り込み、軸足を軽く蹴ってバランスを崩し、その足を抱えながら政志さんの体を背中にのせ、逆の方の手で上腕を掴み、そのまま体全体を肩の高さから勢いをつけて床に叩きつけた。受け身はとったもののダメージの大きい政志さんはすぐに起き上がれない。その機を逃さず柏木は首のところを正確に狙い、反動をつけて踵をぶつけた。そして間髪いれず政志さんの右腕を引っ張り、首とともに両脚に挟み、三角絞めを極めた。身体が負うダメージも大きいうえに、頸動脈を両側から締め付けられ、とても危険な状態だ。普通の人間なら命が尽きるギリギリのところかもしれない。それほど柏木の連続技は完璧だった。
春江さん、幸政さんは落ち着いていた。実のところ俺もそんなに焦ってはいない。この状況なら特殊能力を発動せざるを得ないのは明らかだから、かえって暴発の恐れがない。もちろんこのまま命を落とすほど政志さんは愚かではないし、柏木も特殊能力を用いた政志さんの反撃に備えて油断はしておらず、三角絞めを緩める気配はない。突然、技をかけている柏木が悲鳴をあげて、両足の締めつけをゆるめ、政志さんの右腕を離した。そうきたか、と俺は思わず声に出した。政志さんが用いた能力はペイン・トランスファー、俺もよく使う。自らの身体感覚を転送し、ほんの一瞬だが相手の思念に上書きし、強制的に相手にも感じさせる能力だ。あくまで感じさせるだけだから肉体はすぐに錯誤に気づくが、心理的にはダメージが残る。政志さんはむせて咳をしながら柏木に言った。
「さっきの君の電気ショックと同じだよ。僕も窒息死するわけには行かない。三角絞めには備えていたけれど、あれだけ強烈なボディスラムとギロチンドロップのあとでは、為されるがままだったな。とても悔しい。」
「意外とえげつないことしますね。もう遠慮は要りませんね。どんどん力を使いますよ。」
「最初から言っているはずだよ。力を使わない戦いも、使う戦いも、卑怯などではないと。」
「では早速」
言い終わるとすぐに光を帯びた柏木の右手の手刀が政志さんに放たれた。政志さんこれを交わし、すぐに数歩退いて間合いをとった。ソウル・シールドで盾状の板を作って構えた。ごく小さいもので素材は耐熱セラミックファイバーといったところか。そこにあまり力は割かなかったとみえる。政志さんはその盾に頼るよりは、柏木の手刀の一つ一つをよくみて交わしていた。交わしながら盾の影で軽く結んだ手のなかを、粘りのある光と熱を帯びた思念の糸で満たしていた。柏木の手刀の斬撃にタイミングを合わせ、光の糸が政志さんの手から伸びた。ライト・ストリングだ。それは柏木の手刀を放つ手に絡み付き、急激に温度を下げて固体になった。個体になったそれはソウル・ストリングと呼ばれ、鉄ほどの硬さがある。柏木が封じられた右腕をなんとか解放しようとあがいている隙に、政志さんはローキックをたっぷりと柏木に見舞っていた。拘束した相手への容赦のない攻撃は、柏木がよく用いる戦術だった。政志さんは柏木を怒らせているのではないか。そうとさえ感じる、不穏なファイトだった。
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