花畑(3)
吉岡ペペロ

 中学にあがってはじめての夏休みが終わり二学期が始まると、ぼくは和夫くんと帰り道を一緒にしなくなった。喧嘩をしたわけではない。和夫くんが喧嘩をするはずがない。ぼくが和夫くんを嫌いになるはずもない。
 和夫くんが石をぶつけらるようになったからだ。
 去年の秋、和夫くんの不思議を見た日、ぼくがお寺の門を出てすぐにぶつかった男は、やはり和夫くんのお父さんの若い弟子だった。
 あのあとすぐ、男は文字通り唾を吐いて和夫くんのお父さんのもとを去った。色情問題をおこして和夫くんのお父さんにいさめられると、改心するどころか信者に罵詈雑言をあびせかけてお寺を出ていったのだ。
 お母さんからその話を聞いたとき、ぼくはホッとするよりもさきに、胸にどす黒い不安のようなものを感じた。男の嫌な臭いを思い出した。
 あの日結局、お母さんが言っていた時間よりも早く帰宅して、
「ああ、申し訳ないよ、ほんとうに申し訳ないよ」
 そう言って仏壇に封筒をお供えしてから手を合わせた。
 あの夜、あの男の講話会合は中止になった。信者が持ちよったお菓子は、和夫くんのお母さんが買いとってくれたのだという。
「奥様には、お不動様にお供えしてくださいって言ったんだけど」
 ぼくはお母さんのことを腹の底から軽蔑しながら話を聞いていた。おまえらだって鼻の穴の男と一緒じゃないか。
「でもね、あんた聞きなさいよ、和夫様がね」
 え? 和夫くん? ぼくはそらしていた視線をお母さんにあてた。
「きょうの夜ね、さっきだよ、管長様の奥様につづいてね、和夫様が解脱者になられたそうだよ」
「解脱者?」
「凄いよねえ、小学生だよ、あんたとおなじだよ、それが解脱者って、ありがたいねえ、うれしいねえ」
 そうだとしたら、ぼくが見たのは解脱した直後の和夫くんだったのかも知れない。でもぼくはそれを言わなかった。まったく言う気がしなかった。だれであろうと、和夫くんについて話すのが許せなかった。
 ぼくの勘はあたった。ぼくも、お母さんや鼻の男とおなじであることを思い知ったのだ。
 夏休みが終わろうとする頃、和夫くんのお父さんが逮捕された。
 あの鼻の男が何人かと組んで、和夫くんのお父さんにリンチを受けたと訴えたのだった。
「管長様がそんなことするわけないじゃないか、おまえはこんなことに惑わされたらだめだよ」
 そう怒っていたお母さんも、連日新聞やラジオで報道され続けるとその勢いを失った。しまいには、「おまえはただでさえいじめられやすいんだから、しばらく和夫様とは一緒にいないほうがいいよ、わかったね」とまで言い出すのだった。
 二学期の初日学校に行くと、お母さんの言っていたことが的中していた。
 教室に入ると和夫くんが囲まれていた。
 松葉づえをついている和夫くんはぼくよりも明らかに弱いはずだった。でもいつもいじめっ子たちを追い払ってくれた。和夫くんの凛とした声を聞くと、いや和夫くんが現れただけで、いじめっ子たちはそれをやめた。その和夫くんがお父さんのことで文句を言われていた。
 ぼくは祈った。和夫くんのお寺のお不動様に祈った。でもそれは目を閉じて隠れていただけのことだった。
 激しい音がした。教室のすみに立て掛けてあった和夫くんの松葉づえが誰かに蹴飛ばされた。
 和夫くんの顔をおそるおそる見た。目があうまえに視線をはずした。
 その日の帰り道、和夫くんが石を投げられていた。和夫くんは屈んで妹さんたちをかばうように松葉づえをもった両手をひろげていた。
 ぼくは足をとめてそれを見ていた。わざと和夫くんより遅れて下校したのに、こんな場面に遭遇した自分を呪いたくなった。
 和夫くんはわざわざ妹さんたちを小学校までむかえに行ったのだろう。
 和夫くんの学生服のズボンが泥だらけだった。四月、はじめての学生服での帰り道、「笠置くんは学生服が似合うね」そう和夫くんに褒められた。
「和夫くんも似合ってる」それはほんとうだった。和夫くんは惚れ惚れするぐらい学生服が似合っていた。
「偉い軍人さんのようだよ」
「そうかなあ、ありがとう」和夫くんがズボンを触って、
「ぼく足がまっすぐじゃないだろ、だから学生服だとそこが目立っちゃうんだよ」
「わからないよ、大丈夫だよ」
 ぼくは悲しい気持ちになった。解脱者になった和夫くんでもそんなことを気にするのかと思ったのではない。和夫くんの痛みが太っていることでいじめられていたぼくには分かるからだ。
「きのうお父さんに怒られたんだ。ズボンの生地をなんとか固くてパリッとしたものにしようとして、何度も何度もアイロンをかけてたら、そんな誤魔化しみたいなことするんじゃないってさ」
 和夫くんのズボンが泥だらけだ、ぼくはただ和夫くんの涙を見たくなかっただけだ、和夫くんの涙を見たらぼくはバラバラになりそうだった。
「うおおおお」
 和夫くんといじめっ子のすぐ横をぼくは大声で叫びながら駆け抜けた。いじめっ子たちがぼくの名前を叫んでいた。
 走りながら泣いていた。ごめんね、和夫くん、和夫くんはすごいから、ぼくは知ってるから。
 和夫くんとよく歌を歌ったあたりを過ぎた。鼻がいたくなった。花畑を踏みつけて走るようだった。胸がつぶれそうだった。でもこんな痛みは和夫くんと比べたらましだ。「ぼくはお父さんのような立派な宗教家になる」和夫くんの口癖がよみがえった。いつも助けてもらっていたのにぼくは和夫くんを助けなかった。それどころかそれ以来、ぼくは和夫くんから完全に離れるようになった。




自由詩 花畑(3) Copyright 吉岡ペペロ 2016-04-17 19:44:41
notebook Home 戻る