葉leaf

愛をください、と果てしない緑の淵からため息がこぼれた。誰に聞かせるつもりもなく、ただ朝露の澄んだ輝きの中に溶けて砕けていけばよかった。崩れた愛でも壊れた愛でも屈折した愛でも、それが愛である限りここに定点を敷き続けてくれるから。馴致されたまなざしに狙われてこちらも熱く直立していきたかった。愛をください、この発語には自分の内臓を吐き出すような、そしてたっぷり陽射しを浴びた内臓を新たに組み戻すような、くぐもった代謝を伴う。そして同時に、私の眼には凍った涙が膜を作る。愛をください、今まで私にはくさぐさの愛が突き刺さってきて私はそれを残さず摂取したが、そのうちのどの愛もまことの愛の論理を誤って読み解いていた。定義も容貌も感触もないまことの愛、それがどれだけ腐っていようと汚れていようと私もともに腐って汚れていきますから。愛をください、と発語した瞬間から愛は愛でなくなってしまう。喉を通り鼓膜を震えさせてしまった以上、もはや愛は音楽に堕してしまうから。音楽のように金属的に伝達されるものは愛ではなく、臨在する気配を感じあい、各々の唯一の具体性を握りしめること、それが愛である。そして、まことの愛とは、愛がその表皮を一枚ずつ剥がしていき、ついに空無しか残らなくなったところに緊迫している人間のかなめそのものである。つまり、愛をください、とは、あなたのかなめをください、という貪欲な願いであり、それは己のかなめと交換することで初めて可能になるのである。私は私でなくなりあなたはあなたでなくなる、その宇宙のねじれの部分にまことの愛は交換と共振の運動として発生する。愛をください、とは、愛をあげます、と全く同義である。


自由詩Copyright 葉leaf 2016-02-13 01:52:20
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