殺されるひととすれ違う(1/2)
吉岡ペペロ

 フランス語には名詞に女性とか男性とかがあるけれど、それはその言葉がほんとうに男とか女とかそういうことではなくて、ただふたつに分けるために男と女という概念をつかっているだけだ、とフラ語の教授が豆知識みたいな感じで喋っている。聞いていて、分けるってだいたい何? それに世の中男と女だけじゃないし、レズもホモもおるやん、男のレズも、女のホモもおるやん、あたしは腹立たしくなった。それもつかの間、教室の前方に美智がいるのが見えて、あたしの気持ちは大人しくなった。相変わらずあたしは無視されていた。
 思えばついこのまえまで、あたしは女のホモだった。いまは、女のレズや。真帆ちゃんに教えてもらって、確信している。真帆ちゃんとは就活で知り合った。真帆ちゃんは企業の人事担当窓口のひと。あたしは就活学生。真帆ちゃんの会社が第一志望だけれど入れるかどうかなんか分からない。真帆ちゃんが推してくれているから最終のギリギリのところまでは何とか残った。きょう二時からが最終の役員面接や。

 初めて会ったのは一か月まえ、真帆ちゃんが大学OGとして学校に来て面接をしてくれたとき、一対二でだった。校内の喫茶店にはあたしたちみたいなのがたくさんいた。みんなリクルートスーツで、店内は四回生と企業のひとでごった返していた。
 あたしが学生課でトレーニングを受けたようなことをたどたどしく話していたら、「あなたさあ、にんげんぎらいでしょ」と言われてしまった。
 あたしはとぼけた顔を作って傾げて見せて、となりの美智に助けをもとめた。
 美智が浅黒い顔を真顔にさせてあたしを見る。そして困った感じで口をすぼめた。どういうこと? あたしって、問題あり?
 あたしは美智と一緒に就活していた。企業の合同説明会のときは、ふたりで回って、おなじ企業のブースに座った。企業のひとからの質問や会話はいつも美智にながれた。二次面接に進むのも美智だけだった。選ばれるひとと選ばれないひと。使えそう、使えなさそう。優劣。今までのあたし。ではなくて、これからのあたし。ではなくて、今のあたし。伝える、伝わらない、伝えられない、伝えるものなんかない。
 そんな日々がひとつきほど続いて、ついにあたしは生理がとまった。妊娠などしているわけがないからこれは精神的なものだろう。
「あたしもさあ、にんげんぎらいだから分かるのよ、分かってしまうんだなあ、これが」
 真帆ちゃんはあたしをにんげんぎらいだと決めつけてしまったようだ。
 真帆ちゃんと目があった。真帆ちゃんのひとみは薄茶色だった。下にそらした途端、あたしは泣いてしまった。そうや、あたしはにんげんぎらいなんや。
「あたし、就活前、シーで飲食のバイトしてたんですけど、誰とも話すのが嫌で付き合い悪いどころかゼロで、バイトやめるときも誰からもお別れ会みたいなの誘われなくて、でもへっちゃらというか、かえってありがたかったんです」
 あたしは真帆ちゃんに涙声でまくしたてていた。学生課のトレーナーが聞いたら卒倒しそうな自己PRだ。となりで美智があっけにとられているのが分かる。
「あなた気に入ったわ、現実問題にんげんぎらいぐらいじゃないと、依存心つよすぎて社会じゃ通用しないのよ」
 え。こんなのでいいの? ちょっとおかしない?
 それから真帆ちゃんのにんげんぎらい武勇伝みたいなのを聞いていた。真帆ちゃんの白くて四角い顔から共感できるエピソードがあふれでてくる。栗色のショートの髪をオールバックにしている真帆ちゃんがかっこよかった。
 あたしと美智は真帆ちゃんに飲みにいかないと誘われて、美智はいかなかった。

 その翌日から、美智と連絡がとれなくなった。ケータイこわれちゃったんかな、あたしは悠長にそう考えていた。でもこの時期ケータイこわれたまんまで過ごすんやろか? そんな心配までしていた。
 一緒に申し込んでいた企業の合同説明会にあたしはすこし早く着いた。会場のトイレで美智とばったり会った。どうしたのと聞いたらそっけなかった。相当トイレがまんしてたのかな。あたしはトイレを出て通路に美智が出てくるのを待った。
 美智が出てきて声をかけると固い無表情な顔をしてすーっと行ってしまった。あきらかに不穏だ。あたしを無視している。胸がズキンズキンしてきた。顔がこわばってきた。指先がしびれてきた。
 その日、美智とおなじ企業のブースに座ることはあってもそれは偶然だった。
 こころあたりと言えば真帆ちゃんとの一対ニのOG面接ぐらいだ。でもあれのどこが? 日々自信を失い続けている就活最中に、こんな気持ちはたえられなかった。
 虚ろになって会場をでたあたしは、ひとが通らないようなところを探して、真帆ちゃんに教えてもらった連絡先に電話していた。
 つながらなかったけれどすぐ折り返し着信があった。あたしが美智のことを話すと、
「めんどくさい女だねえ、顔も忘れたけれど」そう言って、今夜ごはんでも食べようということになった。
 焼鳥屋は混んでいて予約しなければ入れなさそうな店だった。OLばっかりでびっくりした。友達といくような店とは味がちがった。味がちがうというより、味に気づいた。つくねってこんなに美味しいんや。
「美智は、殺されるよ」
 真帆ちゃんが濃厚な鳥スープをすすってぼそっと呟いた。
「どういうことですか」
「そういうことよ、あなたに殺されるのよ」
「あたし殺しません」
 大きな声がでて恥ずかしかった。殺しません、殺しません、殺しません、殺さへんもん、殺さんもん、あたしが殺されたようなもんだから。
「美智になにがあったのかは分からないよ、分からないけど、あなたは殺されたのよ、だれかがだれかを殺したら、そいつは殺したやつに殺される」
 あたしには意味がよく分からなかった。
「あたしは殺さないけど、きょう美智に〈すれ違っただけの刑〉みたいなことされた気はする」
 あの嫌な感触が胸にもどってきた。
「あなたのこと推薦したよ、超推薦しといたよ」
 頬杖をついて真帆ちゃんがあたしを見ていた。
「山田さん、ありがとうございます、がんばります」
「真帆ちゃん、でいいよ」
「そんな、真帆ちゃんなんて」
 真帆ちゃんの薄茶色のひとみをあたしは見つめ過ぎていた。
「推薦、推薦」
「わかりました。真帆ちゃんでいきます」
 あたしたちは二度めの乾杯をした。
 こんなことってあるのだろうか。話がうますぎやしないか。いや、あまりにも企業に相手にされなくて自信をなくしていただけで、本来のあたしに気づいてくれるひとに出会えただけのお話なのかも。
「どんなとこをもっとアピールしたらいいですかねえ」
「いまからうちで練習する? 」
「いいんですか」
 真帆ちゃんが領収書を書いてもらっている間、あたしはこのまたとないチャンスに立ったままふわふわしていた。








自由詩 殺されるひととすれ違う(1/2) Copyright 吉岡ペペロ 2016-01-26 20:35:51
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