ついこの前、ミスチルの「君が好き」という曲を探そうとして、「君が好き 僕が生きるためになるものがいっぱい詰まってる」と入力したところ、こんなサイトが見つかった。
http://rerock.3.tool.ms
花洩というタイトルのこのサイト、恐らくは詩のサイトだとは思うのだが、タイトルに似つかわしくない観念的過ぎず情緒的過ぎもしない独特な作品を書いている。例えば次の一節。
きみの目を見る才覚が足らない
至極まともな嘘一つ
抜け落ち二匹
ひとりで生きるかふたりで死ぬか
袖のみぞ知る
失効猶予
ごめんね奇譚
真夜中は白の瀬
ならば便宜上きみのことが大好きということで
淋しい鳥なら尚のこと
たったの3600000時間
包帯ないからクレープ焼こう
わたしならあなたを殺して海へゆく
バッドロマンス・グッドエンド
「便宜上好きな」相手を誘い、この相手を「殺して海に行く」、それが「バッドロマンス」でしかも「グッドエンド」だというのだから、のっけから尋常ではない。しかもこの詩行の中では「あなた」と「きみ」が混同され、一人で死ぬか二人で生きるかが問われている。
そこに、これが続く。
正常に泣いてみせろ
遠くどこかで、誰かの私が死んだ
やさしいせかいせいふく
あの火の下で待ち合わせ
フリー・ラブ・フォール
淑女、修羅為りて
その墓のどれかにぼくがいる
決戦前夜の死に体
触れた棘から薔薇になれ
あっち向いて敬礼
きみの血の色をどうしたって知りたい
アイワズアイ
宵が醒めたら逢いにいらして
「誰かの私」とは何だろうか。ここには先ほど混同された人称が当てはまると考えられる。つまり最初から計算して、あるいは偶然にできたのかもしれないが何らかの意図があって人称のずらしが起こっていたのである。そう、それは「アイワズアイ」つまり「私は私であった」(今はそうではない)という状態である。
このように読んでいくと、この詩は錯乱した不統一な意識の中で書かれたというよりは、人称の不統一という実験的な意図を世界に対して知らしめたというべきだろう。そのような意味で、これはいわゆるラブポエムの域を超えている。私が最初に探そうとしたミスチルの詩などより遥かに独特の世界観を構築している。
しかし私の経験上それまでこのような詩を書く人がいたようには思えない。人称の不統一というのが独特の作品世界を構築するという域にまで達した作品を私は見たことがない。どうだろうか。もし私が発見したような実験的な例が、それまでにも存在しているのなら是非とも知りたいと思う。