Miz 12
深水遊脚

「訓練生が訓練について行けなくなったとき、何が起こるか知ってる?」
「ここでのことに限って、訓練生の記憶が消える、だろ。」
「表向きはそうね。ここを離脱すればここの記憶は自然に消える。もちろん何者かが消しているからそうなるの。誰が消しているか、ご存じ?」
「より高次な意識体で、そいつには個性がない。そう聞いているぞ。」
「納得してる?」
「…………」

疑いを挟むのは自由なはずだった。しかし確かに疑わないように、それについて考えることを避けていた。春江の言葉はそこを突いた。

「あなたが私のこと嫌いでも構わないけれど、政志の前にレグラスと交信していたのは私。それなりの危機感の表明として、聞くだけ聞きなさい。以前のレグラスは記憶の消去までしていた。でもいまのレグラスは、この記憶の消去をするのを拒否しているようなの。」
「俺はレグラスが記憶を消さないものだと思っていた。以前は記憶の消去までしていたのか。」
「代替わりすれば、考え方も変わる。私たちにとっては神様も同然だから、レグラスがそう決めたらそれに従うしかない。神様というより、気紛れな女の子みたい。可愛いと思う瞬間すらある。そんな部分だけは、先代から変わらないのにね。私の印象だけれど、思念の糸を一つに束ねるというよりも、個々の思念の糸がどうしたいのかに寄り添うようになった。まあ世界の歴史と同じような変化かもしれないわ。」
「正義というのは、一つに束ねる力だよな。その考えを共有しない者にとっては快いものではない。その不快感が暴発することは多い。いくつかの暴発の現場で我々は傭兵のような役割を演じている。他人Aを貶める他人Bとの闘いを首尾よく務めて報酬を受け取っている。世界史と同じような変化だとすれば、年を経るごとに狭量になり、考えることすら放棄するような個々の思念のあり方も誰かの意思なのか。レグラスの意思の延長上にはそれがあるのか。」
「青臭いわね、それに鬱陶しい。私にわかるわけないでしょ。記憶の操作をレグラスがしない理由なんて知らない。分かっていることは、もっと高次元の意識体がそれをしているということは、訓練生の記憶が消えるかどうかはその高次元の意識体の意思にかかっているということ。その意識体がどのように世界全体をデザインしているか。それが私たちが望む平穏な生活、守ろうとしている平和を実現してくれるのか。真っ当に考えるなら、無条件にそんな都合のよいことは望めないわ。それがわからないなら、何も考えていない証拠ね。私たちの意思が常に世界の意思に照らして正しいとは限らない。私たちの考え方も吟味される。 高次元の意識体に意思に委ねるということは、そういうことよ。嫌な仮定をするけれど、私たちと袂を別ち、離れていった者の記憶が残り、特殊能力も使える状態で、私たちを滅ぼすだけの勢力になったとしたら、それはこちらの正義が間違っているという高次元の意識体の意思なの。それでも、誰かが保証してくれなくても、私たちはちゃんと考えて、軽々しく相対主義を主張して誰かに結論を任せるのではなく、考えた結論としての正義を実現しなければならない。」

「……そうでないと、戦えないものな。」
辛うじてそれだけ呟いた。ここを去っていった様々な人間の顔が浮かんだ。

「真水さんの能力はデクレッシェンド。戦う相手の能力を減退させ、ゼロにすることもある。相手の特殊能力が回復するとは限らない。そんな力よね。政志のスカウトの報告を聞いたときからずっと考えているの。これは世界が特殊能力者の存在をもう望んでいないというメッセージではないかと。」
「そう思うわけか。俺も模擬戦で戦闘員を潰す心配をしたし、柏木は人の能力を減じるその力を憎んでいる。これまでの鍛練や我々の存在自体が否定される気分はわからないでもない。しかし、政志によればレグラスはこんなことを言っていた。須田は味方だ、敵みたいに警戒するな。味方というのは約束ごとではなく作り上げて行く関係だと。俺もその考えに賛成だ。須田の能力はまだ発現していないし、味方としての信頼関係を築けばそもそも味方に対するデクレッシェンドの発動自体考えにくいし、模擬戦でそれがあったとしても相手の能力は回復するかもしれない。」
「すべて可能性ね。デクレッシェンドが味方に発動するかもしれない、味方でも力の回復はないかもしれない。ここで発現せず他所で発現するかもしれない。根拠がない限り、そんなふうにも言えるのよ。レグラスの言葉もわかる。真水さんは味方。そして私たちは味方としての関係を彼女と築いて行くように努力する。でも、希望は思い描くだけでは意味がないし、希望以外のことが起こる可能性に目を塞いでは駄目よ。真水さんがここを離れて、記憶が消されることなく野に放たれる危険は常にあるの。真水さんと信頼関係を築いて味方とすることは、漫然とした道徳的な目標ではない。やり遂げなければならないミッションよ。真水さんの状態を幸政、あんたに逐一知らせるようにしたのは、そういう意図があってのこと。失敗は許されないから、あらゆる手段で現状を正確に把握して、起こりうる事象を予測する精度を高めるの。」

思いつきではなさそうだ。妙に理路整然とした春江の演説に少し気圧された。しかし信頼関係の構築が失敗の許されないミッション、という言い方は矛盾していないだろうか。それが引っ掛かった。

「……なあ。」
「何?」
「そこまで大事なことなら本気で皆を召集して組織で取り組むようにしたらどうなんだ?」
「最初に言ったでしょ。私の危惧も根拠のない仮定の上にしか成り立たない話なの。その仮定のもとに、変なことが決まって固定されると厄介なのよ。」
「なるほど。要するにあんたはここの人間を信じていないんだな。」
「…………」
「詳細なデータが俺に来るようにしてくれたことは感謝する。あとは俺なりに信じることで、味方としての関係を築いて行く。」

春江の表情が自嘲に歪んだ。自分の考えを皆と共有しない理由はいろいろあるのだろう。

「味方を信じない者が味方との信頼関係を築くお膳立てをするのは滑稽だ。そう思っているでしょ。」
「よくそんな底意地の悪い台詞考え付くな。思ってねえよ。」

とぼけたが、似たようなことは考えていた。

「あなたなりに信じること、頑張りなさい。」
「おう。」
「……なんて突き放すほど私は冷たくないわ。いま真水さんが直面している問題は何?」

まだ話すことあるのかよ。うんざりしながらも、先刻頭に叩き込んだ須田の状態を言葉にした。

「だいぶ疲れを溜め込んでる。体も悲鳴をあげているし、心もついて行けていない。訓練に馴れるまで時間はかかりそうだな。」
「本気で言ってるの?このまま何もしなくてもいい、そのうち馴れると思っているの?ちゃんと真水さんという人間をみてる?」
「…………」
「あの子達も、いつ真水さんの寝不足に気づくかしら。」
「寝不足?」
「私生活の疲れがとれないのを自己管理不足だなんていうのはこちらだけしか考えていない理屈。寝不足の原因はおそらく、自主トレ疲れね。高校の部活をやめてからもずっと筋トレと有酸素運動をする習慣があったのよ。そのおかげで体もできているという実績もある。自己管理能力は半端ではないはず。それがなぜ十分に説明を受けた、予測可能なここの訓練による疲労をここまで溜め込んでいるか。幸政、あんたも分からないの?」
「得意なダンスがうまく行かなくて自尊心が傷ついた。そのうえ苦手な動きばかりすることになる。だから疲れが溜まる。違うのか?」
「苦手な動きを詰め込んでいるから苦労しているわけではない。苦手をどう克服して目標を達成するか、それくらい考えて実現するために動いてる。違う?おそらく真水さんはそれくらい高いレベルよ。」


散文(批評随筆小説等) Miz 12 Copyright 深水遊脚 2015-12-23 12:03:54
notebook Home
この文書は以下の文書グループに登録されています。
Miz