80年代中学生日記 斉藤アキラ君
瓜田タカヤ



青森の雪はデタラメだ。
寒さは別にいい。もう慣れてるから。
寒さはそれほどでもないのだ。というか、
家の中では暖房機をガンガンに使っているし、
外でもセンスのない(あってもいいけど)
防寒着やらセーターやらをバカみたく着こめばどうとでもなるのだ。

雪。
オレがデタラメだというのは雪なのだ。それも量!量だって!コラ!

雪の量が多いすぎるのだ。雪かき(スコップで雪を片付けることです)を
ほとんど毎日やらなくてはならないのがイヤ。
妻が。

妻が殆ど毎日雪かきをするのがイヤ。

オレは面倒くさいから、余りやらないのだが度を超すと怒られるので、
妻の機嫌が悪そうな時はオレがやらなくてはならないのだ。

オレは外に出て雪かきをする。オレは庭に雪を積む。
妻が怒らないくらいの雪山になるまで雪を積む。
向かいの家の雪山では、アノラックを着た子供達が無邪気に遊んでいる。
そんな子供達は期限付きの「自由」を持っていると思う。

なぜ期限付きか。
それは無垢な精神には破損感があるからではないだろうか。
大人になるまでには当たり前の真実を否定し
破損個所を埋めなきゃならない事が多々あってしまうからだと思う。

それは言うなれば自己に対しての”不誠実な皮膜”だ。
”不誠実な皮膜”は「嘘」や「虚栄心」であったり
「対面」や「自己矛盾の葛藤」であったりするのだろう。
結果、子供は大人になっていく。
精神の不自由さを手にする。

そのような制約がない期間だけ、
子供達は凶悪的に「自由」を持っているのだ。

雪山で遊ぶ小学生と、
雪道 家路へ帰るダサイ中学生をみると斉藤君を思い出す。

斉藤君は中学校1年生の時オレと同じクラスで、
生まれつき心臓の病気を患っていたので、体育の時間は必ず休んでいた生徒だった。

斉藤君は東京出身で眼鏡をかけていて、眼鏡だけに頭も良く学校の成績はいつも上位だった。
そして青森の中学生では珍しいナマリの無い標準語で明瞭に話をする生徒だった。
青森に来た理由は、空気のきれいな自然の中で
生活した方が、心臓にかかる負担が少ないとかだった。

1年の時には美術部で一緒になりねぶたの絵を描いたりして遊んだりした。

斉藤君はギャグセンスがつまらなく、普通にしていれば
普通の中学生なのに、俺の前でつまらないギャグをいつも言っていた。

たまに2人で部活の時に、ふざけて筆で顔に落書きしあったりした。
俺が調子に乗って必死に斉藤君の額へ「骨」と書こうとはしゃぐ。
そういう遊びがエスカレートしてくると、斉藤君の呼吸がたちまち乱れだし
「ちょっと待って」と笑いながら言って、心臓を右手で押さえたりした。
オレはそれが冗談なのか本気なのかわからなく、
「そういうギャグなら面白いのに。」と言い
「心臓ネタをギャグに使え」となんだかよくわからないアドバイスをしたりした。

ある日冬の学校の帰り道、斉藤君と帰っていると、小学生の子供達が雪山で遊んでいた。

オレはスクールザックを背負ったまま、制服のまま、小学生の輪の中に行き、
「キーーーー!!」と奇声を発しながら前転をした。
小学生に見せたと言うよりも斉藤君にうけると思ってやったギャグだった。

それは
”これから家に帰るまで、まだ長い道のりなのに身体中雪まみれになって、
 靴も濡れてしまってオマエはバカか。”
というニュアンスの中学生バカギャグのつもりだった。

斉藤君が笑っているか表情を確かめると、
彼はニヤリとしながらオレと小学生の中に、極度の早歩きで近づいてきた。
そして突然斉藤君は「フイーーー!!」と裏声で叫び、オレと同じように前転したのだ!

斉藤君の後頭部がゆっくりと雪に消え、
その後逆向きのスクールザックとヒョロリとした脚が雪埃と
雪面に素早く消えていったのだ。
オレは心臓病で体育の授業を受けられない人間が
そんな事をしたら、面白いに決まっているじゃないかと思い、悔しかった。

斉藤君とは中学2年にクラス替えで別々になり、いつの間にか
美術部も辞めてしまったオレは彼と遊ばなくなっていった。

そして卒業し、テキトウに時間が流れて、薬師丸ヒロコの等身大ポスターの
マンコの所に切れ目を入れて、裏側からぬるいカップヌードル伝いにオナニーしていた頃、
オレは恐ろしいことに気が付いていた。
”斉藤君!高校居ないん邪!斉藤君卒業してナイン邪!。”

そうなのだ。斉藤君は中学校2年から3年の間に、消えているのだ!
オレが内向的になり、学校で余り人とも話さなくなったオナニーの中2の時か、
バンドをやり始めて、カッコつけだしたオナニーの3年の時の間に彼は居なくなったのだ!

まさか中学生の間に、青森で死んだと言うことはあり得ない。
それならばもっと強く印象に残っているはずだし、学校の全校集会とかで
校長先生が何かそれっぽい事をしゃべっていたに違いない。

斉藤君は何処に行ったんだろうか。
もしかして、心臓の病気の治る見込みがもう無くて
ひっそりと東京に帰って死んでしまったのだろうか。
未だにオレはそれを知らないし、中学時代の友人に斉藤君がどうなったか聞いても
皆、行方を知らなかった。

もし今生きているとしたら斉藤君はどうしているのだろう。

冗談か本気かわからない”心臓ギャグ”を誰かに披露しているのかもしれないし、
健康な体になって府中競馬場でギャンブルをして、
馬の尻に興奮してきてトイレに適当な女を連れ込んでフェラをさせているのかも知れないし、
調布で個室エロビデオ屋を経営しているのかも知れないし、

酔っぱらってシルベスタースタローンに似た外人オカマに、
夜の軒下でフェラされてそのオカマが「1000円でイイワ!」と金を要求したのに、
ハンパにカッコつけて2000円払って別れた後、
休もうと思ってたまたま入った喫茶店にさっきのオカマのスタローンがいて
「オイカケテキタノネ・・」と喜んでいて、
泣きそうな顔しながら舌打ちする22歳の俺。とかになっているのだろうか。

オレは斉藤君の前転が、今も心に引っかかっている。
それはなぜか
彼は生まれつき、「心臓病」だったため
精神の不自由さを手に入れるための”不誠実な皮膜”を
生まれつき作り出さなければならなかったのではないかと勘ぐるからだ。

彼の親は彼に無限大の愛情を注いでいたのだろうし、
オレも普通の友人のように彼と遊び、思い出を作っていったはずだ。
その事は間違ってない。

ただ彼にとっては”相手に対する優しさ”が
半ば強制的な行為になってしまっていたのかも知れないと考えると
彼の前転は悲しい思い出としてオレの身体に皮膜を作ってしまうのだ。

彼は大人として、自分以外の人間に優しさをあたえるように
努力しなければならなかったのだろうか。
彼は僕の知らない精神の暗部で
「命」と「自由」を天秤にかけていたのかも知れないのだ。

オレは外に出て雪かきをする。オレは庭に雪を積む。
妻が怒らないくらいの雪山になるまで雪を積む。
向かいの家の雪山では、アノラックを着た子供達が無邪気に遊んでいる。
そんな子供達は期限付きの「自由」を持っている。

人間は
弱い大人になるまでに
「現実」や「社会性」と言う名の鈍器で小突かれ、破損しその患部を
”不誠実な皮膜”で覆い精神の不自由さを手にしてしまうのだろうか。

オレは斉藤君と中学の1年間位しか遊ばなかったし
今もし斉藤君と再び出会っても、何を話すべきか知らない。
むしろ会うの面倒くさい。

ただもし彼と出会えたら

その時オレは、斉藤君の前で奇声を発しながら
前転をしなければならない。

それは必ずだ!


散文(批評随筆小説等) 80年代中学生日記 斉藤アキラ君 Copyright 瓜田タカヤ 2005-02-19 02:30:44
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