売買
葉leaf

私は愛するあなたに、私が愛したことに対する代金を請求する。いくら私が愛しても、あなたは見向きもしないから。私の愛は清算されないまま残ってしまうので、未清算分を早めに決済するために、恋愛感情の標準価格である1万円を請求する。私はあなたに愛情を与えたにもかかわらず、あなたからは何も与えられなかった。この不平等を解消するために1万円を請求する。
私は激しく憎悪するあなたに、私が憎悪することによってあなたに与えた不利益の分を賠償する。いくら私が憎んでも、あなたは歯牙にもかけないから、私はあなたに一方的に不利益を与えたことになってしまい、その分を賠償しなければならない。この場合、憎悪の標準賠償額である2万円をあなたに支払う。
私はあなたに挨拶されたので、すぐさま挨拶を返した。本来挨拶をされたら3千円を支払わなければならないが、こちらも挨拶をしたのであなたも3千円を支払わなければならない。この3千円は互いに相殺され、私もあなたも1円も払わなくて済む。平等性が確保されればお金を払う必要がない。
私たちは社会において互いに利益や不利益を与え合う。その際、昔だったら沢山の不平等があった。愛される女性は沢山の男性から愛されながら少しもその愛を返さず、反対に憎まれ役は沢山の人々から迫害をこうむりながら少しもその損害を償ってもらえなかった。そこでは、人間の感情はお金に換算できないという不合理な理屈がまかり通っていたのだ。だが、人間の感情は相手に利益も不利益も与えることができる以上、判例の集積によって適当な金銭の額に換算することができるようになり、感情のやり取りにおける不平等はすべて金銭で速やかに解消されるようになった。人は感情を売買するのである。
もちろん、これは厳密な意味での売買ではない。本来売買契約というものは相互の意思表示の合致、つまり両方が承諾したうえでなされるはずのものであって、一方的に愛したり憎んだりするときに売買契約が成立しているわけではない。だがそこに契約の成立を擬制するということが画期的な法改正だったのだ。
今や人間の感情の種類や量や相手は正確に計測できるようになっている。この感情測定機の発明なしにはくだんの法改正はあり得なかった。代金や賠償金の請求の根拠となる感情の計測は今や正確になされるのである。
科学の発達や制度の発達は、人と人との不平等を解決し、正義を実現することに寄与している。感情が正確に測定され売買の対象となって久しい。いったい次は何が市場システムに組み込まれるだろうか。いずれにせよ、人々は昔より互いに多くの好ましい感情を与えるようになり、互いに与える好ましくない感情をより少なくするようになった。だがもともと人間は暴力的な存在、負の感情が渦巻く存在だ。負の感情を相手に察知される前にきれいに消し去る違法ドラッグ、負の感情を正の感情にきれいに反転させる違法ドラッグなどが次々と開発され、闇市場は忙しいようだ。


自由詩 売買 Copyright 葉leaf 2015-11-21 04:06:01
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