NCM参加作品 僕は今もうんちですけど
赤青黄


NCM参加作品 僕は今もうんちですけど



「皆くたばってしまった。」


私はその男の詩を、いくつか、読んだことがある。
 数年前から私は『文学●●』という詩の投稿サイトを、だらだらと眺めていた。僕がそのとき高校生で、詩と言えば谷川俊太郎。詩とは訳がわからないものだ。というような認識でかいていた。こんなものを書くやつの気がしれない。けれど僕が合唱と出会い、その中でであった現代詩と謳われる物の中に、こんな漫画とゲームとちんけな歌声しか持たない僕の心を少しだけ打つものがあったのも事実で、そこから僕はネットで詩を探し始めたのだった。図書館に置かれていた詩の本はどれも難解すぎてわからなかったからだ。そして僕は見つけた。「詩の投稿サイト」なんぞというものをだ。同じように詩を書いているニンゲンが、みたことも聞いたこともないような言葉や思想を駆使して互いの作品の感想を述べ合ったり詩にまつわる雑談を交わしたり、『詩』という世間一般ではゴミのように扱われている詩って、実はなんかすごいものなんじゃないかと思った。何年か前の秋くらいに、僕は赤青黄紫白黒茶緑橙。というHNで詩を書き始めた。活字の本など、年に一冊も読まないような男が、録に作文も書けないような男が、適当なわけわからんシュールなものを書いていれば詩になるんじゃないかとか、そんなことを思いながら詩を書き始めたのだ。男の詩句はお世辞にも上手とは言い難かった。改行をしただけの日記だ。自分の気持ちや日常の些細な出来事を適当な語彙と感傷に浸しただけで、実は対してなにか凄いことをやっている訳ではなかった。だが、逆に本人は作品が書き上がるたびに大喜びしていた。推敲なんて殆どしなかった、なぜなら自分の作品がいかに愚かで下らないかがよく分かっていたからだ。そしていつか作品やコメントの端々に、オレ以外の詩や詩人はダメだ馬鹿にするような舐めているようなニュアンスを含めるようになった。


自分の未熟で粗末な作品は棚に上げ、他人の作品は評価せずに「馴れ合いだ。」「くだらない。」などと罵るのである。しかしそんなオレは僕にとってひもじい存在だった。心の中でどれだけ罵っても僕はそれを言う資格がないと思っていた。詩の投稿サイトにはよくいる、実力も才能も伴わないのにプライドばかり無駄に高く人と衝突ばかり繰り返す、人間性に難のあるメンヘラ、コミュ障、酔っ払いの類いの一人だ。オレは。こういうオレみたいな弱虫が吐き出すような、なんの生産性の無い膿は、ひたすら無視をするに限る。しかし、実生活が孤独で惨めなので、せめてネットの中だけでもチヤホヤされたい。オレは、俺だけはお前の作品の価値がわかるぞと言いたいのだ。いいたいいいたい、しかしオレは果たして遊び半分でヌンチャクを振り回し股間にぶち当てるような様をすることができるのだろうか?いや無理だ。もしそんなことにでもなったら目も当てられない。そんなことを繰り返す内にオレは自分のHNが嫌いになった。それで赤青黄にしたのだが、しかし短くしたのはもっと別の理由があった。実際に中学生の時、オレはこれでピクミンに二次投稿サイトに書いていたことがった。それがオレの創作の原点であるし、だからこそオレは当時出るはずがないとされていたピクミン3に登場するであろう新しいピクミンの名前を予想し、追加したHNを使い始めたのだった。しかし現実は違ったのだ。オレは岩ピクミンを予想することができなかった。俺にはもう詩の才能なんてないのである。オレは、また別のHNを使い始めた。もうこのHNで活動しても何も書けなかった。かけたとしても同じようなものばかりだ。何を書いても他人のためにレスを書いても、それはオレになった。オレに返ってきた。惨めなオレの詩作になって全部帰ってきた。オレは「あまさら」を名乗った。即興ゴルコンダというサイトで新しい詩作を始めようと思った。最初は上手くいっていた、しかし、また以前の詩作が戻ってくるのだ。前のHNと変わらない感傷的な詩作だ。オレは自作を詩と呼ぶことにすら嫌悪感を覚え始めた。オレのこんな屑みたいなものが詩であると?なにいってんだオレみたいな感じである。


さて、長い長い自分語りと告白をワードに起こしていると、あんまり面識のないヌンチャクさんがついにネット詩を引退するという。そうかそうか、と僕は思った。正直あんまりさって欲しくないし、逃げんじゃねぇよ、とか言いたいが僕はチキンなのでこうして作品におこさないと何も言えないのがなんとも女々しい限りである。僕が何をいってもヌンチャクさんはここを去るだろう。まぁそこはどうでもいいっちゃどうでもいい。正直もっと踏ん張るかと思っていたけど、僕は最近「忙しい」という理由で殆どネットに書き込みしていないので、お前に言われたくないと言われたらなんにも言えないのが現状である。

>「相当酷い。批評以前の問題。」とコメントを入れてしまった。

個人的には、ヌンチャクさんはこんな感じのレスしか殆どやってないと思うで、ブンゴクでもっと言葉を尽くしてレスして欲しかったですよ。あんな大口叩くくらいなら。見損ないましたわ!とか言ってもしゃあないですけどね。逃げ口は沢山あるもの。僕だってレスしたくてもできないのは単に「怖い」っていうのが大きいし。自分の読みが貧弱であることがとても恐ろしくて吐きそうなだけですし。それにあの場所に拘る必要なんて誰にもないものね。

 *****

 こんばんは。先日は僕の詩にレスをいただき、ありがとうございました。早いもので僕がネットで詩を書くようになってから、もう五年ほど過ぎました。こうしてお会いしたこともない方に自分の詩を読まれ、感想を頂くということは、なんとも気恥ずかしく、また、嬉しいものですね。僕はPCを持っていないので、それまでネットの世界というものをまったく知らないまま生きてきたのですが、五年前、暇潰しに携帯でネットを見るようになり、そこで初めて詩のサイトがあるということを知ったのでした。
「こんなところに詩人がいる! 」
 大げさな言い方ですが、その発見は僕にとっては、南太平洋の真ん中で人知れずひっそりと栄える小さな秘島、楽園を見つけたような、あるいは地中海の断崖絶壁、入り江の奥の奥にそこだけ陽の当たる白い砂浜、美しい渚にたどり着いたような、思ってもみなかった衝撃、興奮でした。長らく眠っていた詩への思い、詩作への情熱が、ふつふつと甦ってくるのを感じました。恥ずかしい話ですが、僕にもこれでも若い頃、ぼんやりと詩人を夢見ていた時期があったのです。(以下略)それでは、また。



 *****


 何が、「それでは、また」だ。私はとにかく不快だった。なぜなら僕もこれよりひどくはないが似たような人生を送ってきたからである。僕はこんな詩をかいたことがある。




僕及びheのHELLO!という挨拶
赤青黄



#     おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?

  朝六時に起きて顔を洗う為に一階に下りたら、
  昨日までぴんぴんしていた金魚が死んでいた。
  彼は金魚鉢ではなく元は清涼飲料水が入った、
  2ℓ仕様のペットボトルの中で飼っていたのだけれども。
  あいにく彼は昨夜よく眠ることが出来なかったようで、
  目を虚ろにしたまま腹を浮かせて、ぽっくり町の何処か
  を、いや若しくは夢の中を彷徨っているのかも知れない

#     こんにちはこんにちは、お元気ですか?そして、彼も元気ですか?

  ペットボトルの蓋を開けたら息を吸うのが億劫になったんだ。
  さっきペットボトルを持ち上げた衝動で、中にいた金魚の体が
  赤と白に分解して、彼の体に蓄えられていた生き物の証が水に
  紛れたんだ。彼の体はたかがゆすった程度で溶けるのだろうと
  考え始めたら、ああそう言えば彼が死んでからもう数ヶ月経っ
  ていたんだっけ、ということを思い出した。
  そう、僕は彼がとうの昔に死んでいたことを知っていながら今
  日彼が死んでいることを初めて知ったのである。
  僕はそんな自分に嫌気がさしてペットボトルごと机の下に彼を
  隠してしまった。

#     こんばんは、どうも初めまして、僕は―

  僕はいつも同じ夢を見る。
  彼が机の下の水槽から、赤い水の水槽から魂だけ這い出てきて
  空間を泳ぎ、夜空が反転した窓の海で、銀河の海で
  泳いでいる姿をただ延々とベットの上から眺めている夢だ。
  その間僕は子守唄を歌いながら小さな空想に耽る。
  その空想はたいしたことじゃない。
  けれど大切なものであることは確かだ。
  それだけは言える。
  根拠はない。
  ただ、そういい切れる自信だけは何故かある、そんな感じだ

#     HELLO! HELLO!/ What is your name?

  朝、目が覚めると僕の目の前には金魚の入ったペットボトル
  が置いてあって、僕はいつも通り中の水を丸々取り替えて酸
  素を補充したり餌を中に入れるのだけれども、彼は一向に餌
  を食べようとしないんだ。だから僕は彼のことが急に心配に
  なってペットボトルを勢い良く振るんだ。起きろ!起きろ!
  朝ですよ!って。そしたら水がみるみる赤くなって、金魚は
  いつしか水面に浮かんでいるんだ。その姿はただただ気持ち
  悪くて仕方がない。だから僕はすぐさま彼を机の中にそいつ
  を押し込めてしまった。もうみなくていいように、彼が一刻
  も早くこの世界から消えてくれるようにって。そう願いなが
  ら。

#     こんばんは、今日はなんて素敵なお月様なんでしょうか。

  僕は何回も金魚にここから出て行ってくれって言ったんだ
  僕の好きなものも、大切な宝物もあげやしないけど
  早く出て行ってくれって、
  ここは僕の海だ
  君の海じゃない
  ここは僕の夢だ
  君の夢じゃないって
  でも
  君はいつまでも楽しそうに歌を歌っているんだ
  僕の子守唄とは違う、たのしそうな音楽を満月の下の
  湖の中央で、月光を透明な鱗で屈折させて
  歌っているんだ


#     おはようございます。昨夜はあまり、眠れなかったよ

  ある日の午後、偶然部屋の中に入ってきた親が
  お前の部屋は汚いと、ぶつぶついいながら入っ
  てきた所、机の下にあるペットボトルが目に入
  ったらしく、なんだこれと尋ねてきたから僕は
  正直になんだか良く分からない、と答えたら親
  がそれを持ち上げて捨ててこいと言ったんだ。
  僕は嫌だといったけれど、親はそれを許さなか
  った。なぜなら中に入っているものの正体が親
  には分かっていたからだ。この赤い水の成分が
  元々1つのいのちであったということ。そして
  中に住んでいた生物が死んだ理由が僕の不始末
  にあったことも

#     こんにちはこんにちは、今日の天気は、晴れ、です

  僕の家には広い庭があり、その庭の一角に
  は、父が丹精込めて種から育て上げたレモ
  ンの木があった。僕はその木の根元まで行
  き、そこでペットボトルのキャップを開け
  たのさ。中からは生きている物を拒むよう
  な匂いがしたけれども、僕は赤い水を我慢
  しながら放水を続けた。


#     さようならさようなら、挨拶を交わすのも今夜でおしまいだね


  レモンの木の下に蒔いている最中に、金魚が何かしらの言葉を吐いた
  のだとしたら、それはきっと幻聴であり僕が僕に対して問いた言葉で
  あり、それ以上でもなければ、それ以下でもないのだろう


#     太陽が全てを俯瞰する、世界の底の、庭の中で


  ―赤い液体は僕に匂いを突きつけて離さない

  ―レモンの木からは絶えず異臭が零れだして

  ―僕はこの現実こそが夢だと思った

  ―透明な鱗が太陽の光を鋭く反射して

  ―僕に投げかける

  ―1つの言葉を

  ―死を見つめる

  ―僕の瞳に向けて


    ただ


#     全ての終わりに、こんにちはの挨拶

  水は既にまき終えていたが
  僕の頭の中を巡る赤い水は
  未だ排泄し切れていないよ
  うだった

今夜、僕はまた同じ夢を見
るのだろうか、それとも目
を一度閉じて開いたら朝が
来るような、そんな夜を過
ごすのだろうか

  手に付きまとう死の香りを
  固形石鹸で洗い流しながら
  僕は生まれて初めて意識し
  た生物の根源に対し、

こんにちは

  と一言挨拶した後、
  そそくさと家の中に戻り
  玄関の鍵を閉めた。





これを書いたのは熱中していた部活が十月の大会で終大学受験を控えていた僕は、大学にいくのがいやでいやで仕方なく、開いて見つけた詩のサイトで偶然見つけた詩に惚れ込み(書いている当時はそんな影響を受けているとは露とも思っていなかった。オレの書いた詩とも共通点を見つけたのは浪人時代になってからだった。気づいた時は恐ろしくなってそれから一年間殆ど詩など書かなかった。かけなくなった)それを読みながら詩を書き、勉強は一切せず、センター試験は見事に惨敗し、二月くらい学校行かなくなった時期に親の部屋から持ち出したノートパソコンを使って昼間せっせとしこりつつ書き上げた屑の一篇だ。ヌンチャクさんが魚なら、僕は金魚だ。これは殆ど実話である。それをごまかして、綺麗に感傷的に書き上げたのだ。我ながら読み返すと虫唾が走る一篇だ。しかし僕は、自分でこれ以上の作品をかけたと思ったことは一度もないのだ。

今まで、これほど薄気味の悪い私信を書いたことなんか沢山あるな。メビウスリンクのプロ詩板に散々僕はヒヒョーなるものを書いたがどれもゴミ以下の出来だと思っている。いまならあれ以上のレスをかけただろう。見ず知らずのニンゲンの詩に対して長々と自分の考えをヒヒョーなどとほざいて送りつけるの醜態、痴態もさることながら、一見、自分の弱さや醜さをさらけ出した独白のように装いつつ、実はそれらを言い訳にして自己を正当化しようとしているその見え透いた魂胆、薄汚く歪んだ自己顕示欲、現実逃避、太宰の威を借る狐、詩にたかる蝿のような執着心、「内心では読者を鼻で嗤っているのではないか」と勘繰りたくなるような、丁寧な言葉使いではあるけれども蜘蛛の巣のようにネットリとまとわりつく奇妙な文体、深みのないひとりよがりな苦悩、すべてが私には嫌悪しかもたらさず、なぜだか私自身が侮辱を受けているような倒錯すら感じ、ただただ不快だったと思う。それでもなぜ書いたのか?というのは単に意地である。しかしその柱も今僕は折れてしまった。申し訳なくて仕方がないのだ。

 聞くところによるとヌンチャクさんはエンターテインメントの書ける作者としてある程度の評価を受けましたよね?いいよなぁ、こんな自分語りの作品で賞がとれて。でもって引退ですか。ひどいひどい。もっと僕はヌンチャクさんの言葉が読みたいし、それをぶっつびしたいんですけどね?え、支離滅裂ですか?そういうもんですよ。そういうもん抱えながら僕はかいてますけど、ヌンチャクさんもそうなんじゃないですか?え?リア充に童貞のきな臭い考えを押し付けるなって?説教は沢山ですか?本当はもっと怒って欲しいくせに。こんな作品で諦めるられんなら、詩なんて、言葉なんて忘れちまえばいいのに。詩を書くやつはカッコ悪い。そうですね。だって一番楽だもんね、最悪一枚の紙と鉛筆があればかけるもんね。だから、僕はここから逃げることなんて許されないと思いますよ。詩に言い訳なんて聞かないんですから。底辺まで落ちたらもうにげられないんですよ?もう死ぬか書くかしかないんですよ。そこまでいってないんなら、バイバイですね。詩人とか芸術とかそんなん以前の話ですよ。そんな言葉どうでもいいや。僕は「芸術とは生き様だ」というヌンチャクさんの言葉きいてへーって思ったんですがね。僕は社会的にすげーいわれるものくらいにしか思ってなかったので、ずっと下らない言葉だと思ってましたよ。芸術なんて。偉そうですか?偉そうですよ。つーか、いいものかける癖にそこで逃げるんだもんなぁ。ふざけんなよな。まじで、うらやましいですわ。絶対もっとかけるでしょ。それとも描ける題材がもうないんですかね?いやあるでしょ。絶対に。超余談ですが、呼び止める意思は半分くらいしかないです。半分は個人的な理由による苛立ちです。全部僕が悪いです。以上。



自由詩 NCM参加作品 僕は今もうんちですけど Copyright 赤青黄 2015-11-06 19:16:39
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