揺れやすいまち
末下りょう



送別会の帰りにみた満開の桜の樹をおぼえている
というよりそれしかおぼえていない
その日にぼくはケータイをなくした
いわゆる静かな生活がはじまった

目を覚ましてもとくにやることはなく
部屋にいても街にでてもどうすることもなく
しかたなくパンクしていた自転車を修理してみたり
ガタつく雨戸に油を差してみたり
よれた靴をいくつか磨いてみたり
水まわりの垢をまとめて落としてみたりした

映画のE.T.が物置のがらくたを使って故郷の惑星との交信機器を組み立てようとするようで
いつのまにかムキになっていて
その勢いで換気扇のフィルターをはずした

そのうち近所のケバブ屋によくいくようになり
店の前のガードパイプに座ってケバブロールを飽きるほど食べた
トルコ人とも少し仲良くなり
UFOが迎えに来ることもなく
そうやって日常をぼんやりとやり過ごした

みんな歩き続けてるなかで立ち止まってるようにも思えて
自分の声はあまり聞かなくなった


しばらくすると母親が心配して様子をみにきた
差し入れのプリンを食べながら父親へのグチを聞いた
この人の手はそれに触れるもののすべてを弱めていく


風が強い日の朝
チラシと一緒に一枚のポストカードが入っていた
川崎の工場地帯の夜景のポストカードで
送り主はLady Nanaだった
ぼくがLady Nanaと呼ぶ菜奈は港でフォークリフトの運転をしている
丸文字なのが笑えた
その夜に電車に乗り
ぼくはLady Nanaのアパートを久しぶりに訪ねた
Lady Nanaがアパートに帰ってきたのは
もう空が白みだすころだった
ポストカードとか出してんじゃねーよ。
お、嬉しかったっしょ。
酒臭いLady Nanaとアパートの階段に並んで座り
無人島に私物を一つだけ持っていくならなにかと考えて
Lady Nanaはヨガマットと答えた
蛍のポーズをするために


春が終わるころに
あたらしくケータイを買って
Lady Nanaにポストカードの丸文字の文面を写メで送った
てめーコノヤロー 返せ。と返信がすぐにきた
ぼくは なくしたよと短くウソのメールを打って
またすぐに送った




自由詩 揺れやすいまち Copyright 末下りょう 2015-08-21 11:33:12
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