昨日まで、子供たち(甥と姪)が遊びに来ていて賑やかだったのが、広島に帰っ
て(帰省)いったので、まあ、急に淋しい感じなってしまって・・。この夏季休
暇中どこへいってもどうせ人人人で一杯だろうし、外へ出るだけでも異常に暑い。
こういう時、インターネットの誘惑というのは案外、要素としてあると思うのね。
友だちが少ない人とか特に。( *´艸`)
「インターネットを捨てよGoogleに投石せよ町へ出よう山を歩き海と語れ」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=309130&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0
などと云うポエムを書いときながら、矛盾するようですが、少し、つらつらと書き
なぐってみようと思うのです。
インターネットと詩について。
ぼくがネットへ投稿しはじめたのは15年くらい前です。
今はもう無くなってしまったいくつかの投稿サイトに投稿していました。
20代の半ばくらいの時でした。
当時、建材メーカーで外回り営業をしていて、仕事にも慣れ始めた頃でした。
少年時代、詩を書いていたことを思い出したのと、詩の投稿サイトがインターネッ
トにあることを知ったことがきっかけです。
詩の書き方なんか忘れていましたし、最初はぎこちないものだったと思いますが。
なんか、非常にうまい人がいましてね。
プロの詩書きさんでも何でもない人なんですが、インターネットは文芸の世界を変
えるかもしれないと直感的に感じました。
当時、出版されている詩集は殆ど読みました。
むろん、図書館などを利用してですが。
それでも、明らかにネットで書いている、世間では(おそらく)無名の少年の詩の
方の魅力に憑りつかれ、俺もあんな詩書けないものかと、結構真剣に思いました。
文学少年だった血が騒いだのでしょう。
それから5年くらいして現代詩フォーラムや文学極道というサイトを発見しました。
今から10年くらい前のことです。
現代詩フォーラムへの投稿は、最近始めたばかりですが、このサイトの存在を知り、
作品を読んでいた時期は長く。
間欠的ですが10年前から、現代詩フォーラムで投稿されている人や作品には触れて
きました。
今よりずっと活況を呈していた時期でしたね。当時は。
現在はこの現代詩フォーラムと、それから文学極道というサイトに投稿していますが、
文学極道は2005年から「慢性的」に投稿し続けています。だから10年間。
ここ現代詩フォーラムは民主的な(?)ポイント制ですが、文学極道というサイトは
発起人によって協議され、毎月、優良/佳作と選別される封建的な制度によって運営さ
れているサイトです。
一時期、ぼくも文学極道では発起人代表をやっていましたが、リアルの生活が忙しい
のと、若い詩書きさん(ケムリさん)が出てきたので、バトンを渡しました。
だから、割と長い期間、こういった投稿サイトに触れてきた一人として、ウェブ上に
のみ存在して消えていった幾人かの詩人さんを思うとき。
彼らの作品をきちんと世間紹介したい。という思いが、何かあるんですね。
サイトはなくなると作品ごと全部消えますでしょう。
だから、しかるべき媒体にきちんと記録し、社会に問うていくべきはきちんと問う。
これは詩文学の世界を豊かにすると同時に、社会も豊かにすることであると、ぼく
信じても良いと思ってるんです。
だけども、なかなか、その適任者という人がいないのです。
私的な利益に利用したり、あるいはどこかの同人や組織に参加していたり、そうい
った偏見にとらわれない人間であり。かつ批評家として優れた眼力を持ち。詩文学
を愛し。日本と日本の文化の為に、インターネット内部に取り込まれた文学の記録
を、編纂し、歴史に残していく作業ということは、難しいけれど、必要なことであ
ると、多分、大いなる確率で、ぼくはそれは必要なことであると最近考えています。
ですから、現代詩フォーラムのこの場をお借りして、ぼくは有為な詩人、批評家の
方々に、そのことを、少しお伝えしてみたいと思い。
拙文をしたためてみた次第です。