十年の悪夢
莉音
十年前、私はまだ子供だった。私は人を疑うことが極めて苦手な子供で、また嘘をつくことも苦手だった。音楽は私の唯一の友で、この年から楽譜に書くことを始めた。私が、はっきりと自分の曲を書き上げたのは、この年の8月だった。
政治のことは、まだよくわかっていなかった。私の親は、日本の首相についてこう教えてくれたのだ。彼は見かけ倒しの偽善者だと。インターネットは普及が広がり、パソコンを持っている過程であれば、誰でも利用できる時代になっていた。2chは絶頂の極みで、私はそこから情報を得ていた。
そんな頃、ネット上で一つの絵本が流行しているのを知った。「戦争のつくりかた」という絵本である。私はそれをさっそく読んだが、あまり意味がわからなかった。『自衛隊が武器を持ってよその国にでかけるようになる、せめられそうなら先にこっちからせめる、戦争のことはほんの何人かの人たちで決めていいことにする、テレビやラジオは政府が発表したとおりのことを言うようになる、学校ではいい国民がなにをしなければならないかをおそわる』一体なぜ、今こんな本を書く必要があったのだろうと、疑問に思うばかりだった。
戦争は、遠い世界の昔ばなしでしかなかった。戦前と言えば、国は戦争一色で、警察は国民を自由に盗聴・監視し、都合の悪いことを言えば治安維持法で拷問する、そんな印象だった。そんな時代が繰り返されるだろうとは思えなかった。
あれから十年経った、私にとっては長く、悪夢としか思えない十年だった。十年前に思い描いた未来とは、全く違う場所に私はいた。
私はまだ二十代の半ばにも至らないのに、不治の病を患ってしまった。中学でも高校でも、誰ともなじめなかった。景気は悪化の一途を辿り、私は夢を諦めた。政治は混迷を極める一方で、気づけば独裁政権が牛耳っていて、それを国民は反発もせずに、諦めながら聞き入れていた。独裁者は、憲法を守らなくてもいいと言い始めた。独裁者は、私が首相なのだから正しいと言い始めた。それでも国民にとっては他人事で、誰も彼もこの独裁者を支持していた。
インターネットは、あれから大きく変わった。パソコンでなくても、スマートフォンという媒体でインターネットができるようになった。2chは右翼が差別を繰り返す一層醜い場となり、代わりにツイッターというSNSが現れた。
私はそこで、「戦争のつくりかた」という絵本が物議を醸していることを知った。改めて私は読み返した。現実が、重なった。『自衛隊が武器を持ってよその国にでかけるようになった、せめられそうなら先にこっちからせめることにした、戦争のことはほんの何人かの人たちで決めていいことになった、テレビやラジオは政府が発表したとおりのことを言うようになった、学校ではいい国民がなにをしなければならないかをおそわるための教科書が使われるようになった』この10年で起こったことのすべてである。
戦争は、近い未来の現実になった。そして、人々がそんな政府に諦めてついていく、恐ろしい時代になった。政府が望むなら仕方がないと、安保法と名を変えた戦争法も、刑事訴訟法と名を変えた盗聴法も、秘密保護法となった治安維持法も、全て現実になった。
全てが変わってしまった。私は今も、悪夢の中にいて、いつかこの夢が醒めると絶望的に祈っているのだ。長くつらい十年だった。
十年前に書いた楽譜が、本棚で崩れかけていた。私はそれを読み返した。ああ、まだ子供だったなあと私は思った。いまだ私が綿々と書き続けている、終わりのない楽譜だけが、この十年が夢ではないと語っていた。