その夜の仕事
もり
揺れる車中で、一瞬だけ眠ったような気がした。酒も女もしばらくこらえて、不眠症気味だ。今日の仕事を終えたら、解禁といきたいところだが・・。
定員のセダンの不自由さから逃げたい気持ちもあった。大の男が、真空パウチされたソーセージのようにくたびれている。
俺たちの本業はバーやカジノ、クラブの元締。麻薬取引もあるが、めったに現場へは顔を出さない。チンケなことでムショ入りは避けたい。
だから今日、この殺しのミッションはあまりつれない。人一人を殺すときは、いつも胸騒ぎがする。その対象が裏切り者であったり、単純なヘマを繰り返した馬鹿野郎であっても。
「撃つ時は、鶏だと思え」
そんな先代からの激励も、俺にはシラけて聞こえた。椰子の実ならまだしも。俺は昔から赤い色が嫌いだった。
隣に座るデブ兄弟、セルフィとチャービーがまた痴話喧嘩をおっ始める。兄弟ならお互い分かり合えないもんか、とも思うが、あいにく英仏の「種」違いの2人に、絆なんて言葉は無縁のようだ。
手元にある自動小銃を天井にぶっ放して黙らせてやりたい。この街ごと。俺は頭が痛いんだ。
運転席のマジョラムはいつものように、口に爪楊枝を咥えてハンドルを握る。手下にはやけに厳しいこいつがママの前では、未だに「坊や」だということを、俺は知ってる。口唇期野郎。ママに買ってもらったであろう腕時計が、もうじき10時半を指すのが見える。
助手席のオレガノも、いつにもまして無口だった。一応こいつが、今日の小隊長ってところか。いつも通り、ターゲットの話はしない。そのくせ、最前線は俺たち、自分より下のやつに行かせればいいと思ってやがる。タマの小せえ野郎。
そうなんだ。ビルの間から俺たちをちらちら見てくるお月さん、わかるだろう。今日のメンバーは俺の嫌いなやつばかり。何だってボスはこんな選抜をしたんだろうか。たしかに上に媚びるのがお上手な連中さ。だけども、こいつらも殺されるやつとたいして変わらない悪業をしてるんだぜ。
信号待ちの間、角に立つ薄汚い娼婦と遊んでるほうが今夜はまだマシな気がしてしょうがなかった。
セルフィとチャービーには助手席から一喝があり、車内はまた沈黙の箱と化す。
アニス、ロベッジ、ケッパー。あいつらに来て欲しかった。あいつらなら殺し嫌いな俺を嘲笑しつつも、きっちり仕事をして分け前だけはくれたに違いない。
あぁ、そうだ。そしてホアハウンド。あいつがいればヒットマンは5人もいらない。俺が運転してあいつと2人で充分だ。ただホアハウンドの真の実力を知る者はおそらく俺しかいない。
俺がある取引中にハメられて、自動小銃の檻に包囲されたとき、全員を撃ち殺したのがホアハウンドだった。7、8人はいただろうか。しかも、拳銃で。
流れるような殺戮だった。初めて地獄絵図を美しいと思えた。
何故実力を隠してるんだ?と俺が問うと、「暮らし以上のモノを求めてないからさ」とだけ言った。シビれた。
猫の皮を被った狼。虎。いや、悪魔。
どうせなら悪魔とのドライブでいい。そう思いながら、また目を閉じる。
雨上がりの街、ドブのような水溜まりをタイヤが容赦なく蹴散らす音がする。今回の雨は、この街の汚れをどれくらい拭い去っただろうか・・・。
故郷アストラハンの夢を見た。カスピ海。大聖堂。旧市街。手を振る母・・。
一瞬に永遠を感じるとはこのことか。
しかし現実は残酷だ。俺たちのちっぽけな夢など、かんたんに引き裂いてしまう。
擦り切れそうなブレーキ音で目覚めた。
喉が渇く。はやくウォッカを喰らいたかった。
「着いたぞ。中にいるやつは皆殺しでかまわない」
オレガノが安全レバーを解除しながら言う。
セルフィ&チャービーが待ちわびたように車外へ飛び出す。俺は途端に、理解した。
いや、理解できなかったのかもしれない。ほんの数秒で、全身の毛穴から汗が吹き出した。
バーに向けて、2匹の豚が走って行く。
そのあとを、マジョラム、オレガノ、俺。2本の足に脳が拡声器をフルボリュームにして叫ぶ、「やめろ!殺される!」
その声は口からも漏れていた。
あまりにも赤いランプが、〈ホアハウンドのバー〉と書かれた看板、および俺たちを照ら・・・