はるな

どうしたって女のだから肌をしめつけて日陰を歩きたい。という思惑とはべつに梅雨を無視して日差しは降り注ぐし、あっという間に色褪せる紫陽花にはぞっとさせられる。それは美しさであって、自分ではないというのに。境界をみつけるのは簡単だ。たとえば街で。他人の手でひかれたいくつもの線を交差していくひとたちそれも境界。たとえば部屋で、そもそもその部屋自身も境界。鏡も。内と外を分けている反射。そして体に。被服から皮膚へ、そして血と肉と。けれどもあの、この部屋の隅をあかるくひからせるようにして眠っている娘はどうだろう。あの体はわたしではないのに、抱けばゆるゆるしてわたしごと線を崩していくのだ。いまのようにああして離れて眠っていると、直線で構成されているはずのこの部屋の角が溶けてなんだかとても、そこだけ、世界とひとつづきのようになっている。とてもゆるやかな坂に少しずつ柔らかい草が生えていくような。彼女はまだ世界とひとつづきなのだ。



散文(批評随筆小説等)Copyright はるな 2015-06-29 22:54:15
notebook Home