倫理
葉leaf




連日深夜まで残業して、さらには上司からの叱責などのストレスにさらされて、私は発すべき声も思考すべき言葉も抜き取られてしまった。朝目覚めて外が明るくなっても、いつの間にか孕んでしまった暗黒に吸収されて、私には幾分も光が届かなかった。私は重力に屈しきれず、地衣類のように朝の底を這いながら、自分の身体の至る所に重く沈殿した社会というもの、責任というもの、労働というものの元素が代謝を狂わせるのに任せていた。

そんな朝に一杯のコーヒーを飲んだ。安物のインスタントコーヒーで、ブラック。すると、もはや出社できないのではないかという限界を示す壁が自壊し、どこまでも独りで生き抜いてやる、という意志が私を地衣類から樹木へと転化させた。一杯のコーヒーは一つの倫理だった。一杯のコーヒーは私を根底から支える基本原理に等しく、思えば私の人生の要所要所を流れていたのは生きるための血液ではなく、生きる原理を示すこの黒い飲み物だったのかもしれない。

コーヒーの滑らかな苦さは人生を一人で生き抜くための苦しみであり、コーヒーの中毒的な魅力は困難を切り開く意志に酔う快楽であり、コーヒーの美しい黒さは衝動や焦燥の暴力性であり、コーヒーのもたらす高揚感は人生の苦楽すべてを喜びとして創造する力である。これらは全て、私がかつて傷だらけの絶望から生きる意志の方角へと立ち直った際に獲得した基本原理であり、コーヒーはつまり私の根底的な倫理を現すものに他ならない。私は今日もコーヒーを飲む。私を支える根本倫理を喉に流し込むのだ。


自由詩 倫理 Copyright 葉leaf 2015-05-23 16:50:28
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