ACIDMAN
葉leaf

人間が単純に存在するその情熱と、世界が柔らかく超越するそのリズム、それらは果てのない鳥の航路のように美しく、過剰に届く祈りのように悲しかった。僕らはいつだって波のかけらを燃やし続けていた、始まりの音が世界の終わりを告げるこの森林で。孤独はとても熱い、愛を燃え立たせるほど。愛はとても冷たい、孤独を凍らせるほど。今日、世界と世界とが出会って、笑い合って、激しく抱き合って、新しい国境を描いた。光が汚れていないことなんてなかった、太陽が憎んでいないことなんてなかった、それでも僕らは造花に幾重にも包まれて、踊り続けて、夜のひびを丁寧に修復していった。あなたは泣いていましたね、世界を涙で覆い尽くそうとしましたね。泣くあなたの背後には新しいあなたが泣いていて、その背後にはさらに新しいあなたが次々と泣いていった。終わりがないということはそれが最後だということだ。最後のあなたの身体が刻んだメロディーによって、僕らは木や水や鳥を概念に変更したのだ。2013年3月30日、これもまた概念だ。ここにはいかなる細部もいかなる規定もいかなる実存もない。世界という概念が裏から表、表から裏へと変換されていき、その概念の運動が行きつく先にこそ僕らの時代があるのである。概念の運動に貼りつき食らいつき巻き込まれるところに生まれる一個の、たった一個の情熱、それがつまりはACIDMANである。

ただ君が笑い、ただ僕らはその輝きを明日の朝まで受け止め続けていた。ありあまるnonsenseが生まれ変わる刹那、世界は幾億の細胞を抱きしめて、唯一の証明を下した。鳥がいくつにも分裂し、それぞれに果てていく大地で、僕らはすべての涙の行き先についてシンプルストーリーを奏でた。生まれて、生まれ変わって、明日になって、忘れて、そういう偏差を貫いていく見えないストーリー、そのシンプルストーリーを無条件に肯定し、ただ行けと、ただ名付けよと、ただ告げよと、透明な唇は赤橙色の砂の一粒一粒に心を込めていった。ギターが滑空し、ベースが重くつぶやき、ドラムが始まりと終わりを描き込んでいくとき、ボーカルはその肌の硬さを様々に調整した。メンバーたちの間のREAL DISTANCEはそれぞれの楽器の音がちょうど聞こえなくなる間隔である。ACIDMANはメンバーたちがそれぞれの遠さを持ち寄って、悲しく混ぜ捏ねてできあがった、たったひとつの無数に分枝するストーリーによって刈り取られていくのである。過去を未来に投げ捨てて、未来を過去に取り戻し、現在のもたらす痛みを限りなく跳ね返していくストーリー、それがACIDMANである。

DEAR FREEDOM、果てぬ闇は可能性の複合により、期を待って自在な光を投げうつ。あなたに収斂していく奇跡の遺産と平和の膠着が、強く輝く孤独のために、明日を組み立ててはまた波のリズムのように自由の計量器となる。美しくあるために弱くなるということ、その抑制の力は、届けるために強くなるときと同じだけの強さを持っている。世界の響きは下降し具現化し、WORLD SYMPHONYを奏でるための雑務をこなし始める。それはあなただ、世界として投じられた概念に最も強く結びつき、響きとして注ぎ込んだいくつかの開花をもたらして、夢として形成された固形物を握りしめては収集する、それはあなただ。太陽はいくつもの光路をあなたに至らせようとして失敗した。だがあなたは太陽の熱を証明し、僕らは太陽の光を承認した。あなたと僕らは境を接していて、その境に世界があったり祈りが飛び交ったり証明する力が巻き起こったりしている。僕らとあなたが、一人称や二人称という主体の問題や語りの問題、関係性の問題を超越したとき、そこにはACIDMANがいつでも佇んでいる。僕らは人称を持たない。あなたも人称を持たない。人称を持たないものとして証明され肯定されるとき、そこには必ずACIDMANが佇んでいるのである。




自由詩 ACIDMAN Copyright 葉leaf 2015-03-16 02:14:08
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