うすごおり
そらの珊瑚

今、私は冬の終わりと春の始まりのうすごおりのような、境界面にいる。(、のだと自覚する)

今日は暖かくなると天気予報が告げている。自転車通学をしている娘の防寒ジャンパーが玄関に置き去りされている。手袋もマフラーも要らない日もそう遠くはないだろう。
けれど突然暖かくなると、雪崩が起きやすくなるという。変化というものには、それに付随する結果がついてくる。それはきっといい、わるいとか、そういったくくりではくくれない、ただの現象。
おそらくうちの犬の厚い冬毛にも、雪崩ほどではないけれど、夏毛に移行するための現象がおきているだろうと思う。

サリドマイド薬害は、もちろん知ってはいたけれど、あまり報道されないので、私の中では思い返すこともなく過去のもののひとつになっていた。
けれど今も、被害者はその苦しみの渦中にいて、そうして新たな肉体の痛みに耐えているという。家族の方々も被害者である。特に母親の苦しみを思うとやりきれない。当時、妊婦のつわり薬として、サリドマイドが配合されていたと聞く。私の母もちょうど同じ頃、私を身ごもっていたので、私の母がそれを服用していた可能性だってあったのだ。
(付け加えると、不思議なことに、現在、日本において、サリドマイドは多発性骨髄腫の健康保険適応の治療薬となっている)
そして、その後薬害というものが、なくなってはいないということが本当に怖しい。いったい何を信じていいのだろうかと思う。

2013年4月に、中学一年から高校一年生女子を対象として、公費助成による定期接種化された子宮頸がん予防ワクチン。中学生の娘にそれを受けさせなかったのは、そのワクチンの副反応の危険性や有用性への疑惑があることをネットで知った私の危惧からである。それまで私はワクチンが人体にとって危険な劇薬ともとれるものだと知らなかった。テレビ等でそういったことを報道されたことは記憶にない。友達のほとんどは受けたと聞き、その選択をしたことはもしかして間違いだったのだろうかと少しぐらついた。接種した娘の友達の一人は、接種してから数日間、かなり強い腕の痛みが続いたそうである。
その後、そのワクチンによる重篤な副反応が続出して、同年6月、厚生労働省は接種推奨を一時停止して、現在に至る。(ワクチン投与自体が取りやめになったというわけではなく、任意接種になった)
今も後遺症で苦しんでいる少女がいること、なぜあまり報道されないのだろう。そもそもそのワクチンにおける有用性(子宮頸がんの原因とされるヒトパピローマウイルスへの感染を防ぐというもの)だけが伝えられて、一方的に接種が呼びかけられたのはなぜだろう。大きな力(政府と製薬会社)によって、いつの世も知りたいことは阻まれている。
当事者にとっては、ただの現象だと到底済ませられないものであるのに。

その一方で、例えば天然痘など、ワクチンによって病いを克服してきた人類の歴史はあるのだし、ワクチンによって助かった命もあることは承知している。

石橋だって叩いて渡る。そんな慎重さは、もう当たり前だという気がするし、それでもわからないことの方が多いのだろう。
そうだとしても、その一歩を踏み出す前に、足元を見る。そこがうすごおりであるのではないかと疑い、確かめながらも、踏み抜いてしまうことだってないとはいえない。
その一歩を踏み出す前、祈る、しかないのだろうか。




散文(批評随筆小説等) うすごおり Copyright そらの珊瑚 2015-02-23 11:18:02
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