記憶の雪だるま
宮木理人

自覚していない欲望を、引きづり出して見てみたい。
それを誰かに上手に説明できるようになりたい。
どんな色でどんな形なのか。どれぐらいの大きさなのか。それに首輪を掛けて(そもそも首はあるのか)近所をさんぽしたい。日光に当てたい。近所の公園に連れて行き、公共の場で、改めてその姿を眺めてみたい。
そして細部に至るまで観察し、スケッチブックにデッサンする。
実はものすごく凶暴で、同じく公園にやってきたトイプードルを食べちゃったりなんかして!
ひゃひゃひゃ

できるだけ、笑っていたい。

分かる。正直、とち狂ってるよこんな文章。ぼくは、ぼくの心の中の、美しい部分をどっかに落っことしてしまったようだから、一生懸命探してるんだ。だけど、掘っても掘っても、犬のうんこしか出てこないよ。

今日はもうコーヒーを4杯も飲んでしまった。近所にあるセブンイレブンの100円コーヒーを良く利用していたんだけど、地味に割高になってしまうことに気がついて、家にいる時は簡単なインスタントコーヒーで事足りることが判明した。一時期は少しこだわって、美味しいコーヒーを飲むために豆を買ってミルでちゃんと挽いていた時期もあったのに、あれはなんだったんだろう。

どうしたらいいだろう。椅子に座ったまんま、汗が止まらない。
この家はサウナか?それともサウナがぼくの家か?
いや、ここはぼくが契約して借りている真冬のワンルームだ。すきま風が入ってギンギンに寒いよ。

現在の感覚が、記憶を雪だるまにしてできた総体だとしたら、一番大事なものほど、ずっと奥のほうにあるじゃないか。
これは大変な事実だ!
凍てつく猛吹雪のなかで、ぼくらは雪かき作業を辞めてはならない。

小さな村の防空壕で、今日も誰かが芋スープをこしらえている。それはきっと虚しさと優しさが入り混じった複雑な味だろう。そんなスープをつくる人が流すべき汗を、どういうわけかぼくがいま変わりに、部屋で流している。
夜になって部屋はどんどん寒くなり、その汗はぼくの見えない角度で奇麗な結晶に変わりダンスする。
その様子を撮影した映像をyoutubeにアップすると、すごくたくさん高評価がつく。だけど3つだけ低評価がついていて、ぼくはそのなかからお嫁さんを探す。


ツイッターで調子に乗っていたときツイートを振り返ってみると、顔から火が出るほど恥ずかしい。
でもキラキラしていて、キーホルダーみたいだ。


君と会話は可能か?
何を、どこまで話せるんだ?
そして、ぼくは、誰に、何を話したいというのか?
ここに書いてあることは、本当に、ぼくの、言葉か?

表現とか芸術とか何もしなくていい。
なにも書かないでいい。画材も楽器も持たなくていい。
立ち上がらないで下さい。みんな座って下さい。
あなたとちゃんと話せれば、それだけでいいです。


名前も忘れたおじさんの、車の助手席に乗せてもらったとき、
ぼくはあまりにも気まずくて、自分の相づちに耳を澄ましていた。






自由詩 記憶の雪だるま Copyright 宮木理人 2015-02-17 17:55:29
notebook Home 戻る