ストレンジ・バット・トゥルー
ホロウ・シカエルボク





心臓は崩れながら歪み、実体の判らぬビートを作り出す、ああ、脳天から逆さまに降る、死、詩、私!降り積もったさまはまるで賽の河原の石積みのようだ、鋭利なナイフのような真冬の空気、肉体をすり抜けて内奥を串刺しにする、ドゥドゥ、ドゥドゥと、体内で迷う血液の音がする、吹き上がるものたちは降り積もるものたちと交差しながら、ふたつの存在しない裂傷を描き…限られた部屋の中空はひととき在りもしない境界に心を躍らせ、そして萎れてゆく…瞬きのようなものをうたにするには、どうすればいいだろう?その答えはやはり瞬きのようにしか見えないものだ、そしてそんなに長くは語れないものだ―睡魔を絞殺するように覚めていく意識は快楽殺人者の瞳だ、手を汚したものの問題定義は何故だかやたらと取りざたされるものだ…その汚れ方を知らないものたちには答える術がないからだ、そうだろう?もちろんだからこそ、そんなものには答える価値もないことさえ、すぐに判りはしないのだ―最後の瞬きが見つめる光のような月が空には浮かんでいる、端仕事の帰り道、そいつと目があったような気がした、僅かに荒んだみたいなイエロー交じりの白色は俺のあらゆる想念を―雑念のすべてを掬い上げて、秤にかけているような気がした、そいつが天秤を軋ませてくれれば良いと俺は思ったんだ、そいつが天秤を歪ませてくれれば良いと…月よ、俺の人生に溜まった塵はそこそこに価値があったかね?自転車のペダルを踏みながら帰った、月は俺の声を聞く気はないようだったから―俺はときどき眠りながら、肉体が失われたような感覚を覚える、消滅するのだ、意識だけを残して―その瞬間心に飛来するものは、怖れや焦りの類などではなく、まさしく解放と呼ぶにふさわしいものだったよ、俺は湖のような重さと柔らかさをもってそこに漂っているんだ、それはまさに自由という感覚なのだ、自由という感覚は本当は、日常なんてものの中には存在しはしないのだ、それはおそらくは肉体がある限り…居心地のいい不自由さに抱かれて安穏としているとそのことに気づけないのだ…鎖を幾重にも己が身体に巻きつけてストイシズムに勃起してる連中…まったく失笑ものだぜ!どこにも行けない足でどんな真実に辿り着けると言うのかね?身体と心を方々から串刺しにして、一斉に引き抜いたときに吹き出した血や体液が床にどんな模様を作るのか…死ぬまでにそれを出来る限り書き写す、そんな行為こそをストイシズムと言うのだよ、君―喪失の感覚から再び身体が概念的に再生されていくとき、どこから戻ってくるのか判るかい?それは骨盤だよ、それがすべてのベースと成り得るパーツなんだ、すべてのバランスをそこで統制するんだ、だからそこから始まる…そこを拠点にして広がっていくように、骨が生まれ、内臓が生成される、筋肉が張り付き、神経が駆け巡る、皮膚が、体毛が…そうしてふたたびひとりの人間として寝床に確かに横たわるとき、いつかの月のような存在である自分を感じる、僅かに荒んだみたいな、イエロー交じりの―白色―死も、生も、必ず人生の中にある、一番最後に訪れる死はきっと、自分自身とは何の関係もないものだ―ドゥドゥ、ドゥドゥ、血液が流れ出す、肉体を蘇生する電流、体温が始まる、目が…開く―ひとは自分の身体を、心を、確かに知るために生まれて死んでいくものだ、それ以外にどんな意味があるだろうか?始まり続ける終わり、終わり続ける始まり、それは確かに、途方もない痛みと共にある、だがひととき、そこを抜け出すとき、俺は冬の夜空の王のようなものになる、またいつか凍りつく寝床で肉体が失われるとき、俺はやつのまなこをすぐそこに見るだろう…




自由詩 ストレンジ・バット・トゥルー Copyright ホロウ・シカエルボク 2015-01-19 01:11:23
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