どうしてもしたかったんだ巻き
虹村 凌
うんこの話が。俺はうんこの話をしようか迷っていた。
しかし、俺はする事にした。ウンコ。
ウンコはウンコでしかない。クソったれられたモノでしかない。
しかし、色々あるんだ。俺は色々考えてるんだよ。
最近、でっかいウンコが景気よく出ると、凄く嬉しい。
一日が気分良く始まる。
そもそも、俺のウンコは素早い。出るまで待つ、事は無い。
入って座れば出るのだ。家族は小用だと思う事もしばしばある。
早飯早糞早算用、と言う男の3大ステータスのひとつを達成している。
飯も早い方だが、計算は誰かにまかせる。
…話がズレた。
逆に、なかなか出ないと、一日が憂鬱だ。凄くゲンナリする。
昔、小学校の林間学校で「うんちは健康のタコメーター」とか見た気がする。
そうなんだろう、きっとそうなんだろう。
小学校の頃、大抵の生徒はウンコをするのを嫌がる。
ウンコウンコと囃し立てられるからだ。
だから学校では我慢する事が多いと思う。
だがときおり、我慢しきれなくなった者が、ウンコを出す。
すると、どういった訳か流さない。大抵便所に残ってる。
そしてクラスメイトの処へ、嬉しそうに報告に行くのだ。
「おい!便所にウンコあったぜ!」
そしてみんなして、そいつが流されるまで、繰り返し見に行くのである。
ガムテープでクルっとまいて、持って運んで歩いた猛者(女子)もいた。
大体、林間などに行くと、みんなしてウンコをしない。
しなきゃならんのだろうが、しない。何か言われるのが嫌なんだろう。
俺もウンコしない方だった。結構しなくても平気だった。
小学生だし、小食だったし、ウンコの量もタカが知れていたんだろう。
中学、高校以降になると、今度は何故か積極的にウンコをする。
学校の、教室に近い便所で普通にウンコをする。
この頃になると、流石に流さずに残して、仲間に報告するような輩は減る。
だが、全くいない訳じゃない。
残すのだ。しかも、ウンコだけ。
綺麗にウンコだけが残っている。そんな光景を、見覚えないだろうか。
見たしゅんかんは、「ああウンコがあるな」としか思わない。
だがしかし。俺はいつも疑問に思っていた。
これをしたヤツは、ケツを拭いたのだろうか。
まさか拭かない訳にはいかない。パンツがクソ臭くっていけない。
味噌パンじゃないか。これこそネタにされてしまう。
だから拭かない筈が無い。なのに紙は同じ便器の中には無い。
と言う事は、拭いた紙を自分で他に持って行っているのだ。
そんな手間暇をかけてまで、学校の便所にウンコを残したいらしい。
面白いからな。俺は流していたが。
積極的にウンコをする。授業中にも「先生、ウンコ行ってきていいですか」
と言う。言えるようになる。これは面白い。
小学校の時は、羞恥心で言えなかった事が、今はハッキリと言えるのだ。
理由はいくつかあると思う。
1・ウケを取れる
2・羞恥心が薄れた
3・本当は煙草吸いたい
4・テスト中ならカンニングしに行く
5・ウンコを残したい
大抵どれかだ。小便でも、わざわざウンコと言う輩もいる。
学校でも行くのだから、当然林間学校でも行く。
修学旅行でも、何処でも行く。むしろしたがる。
色々と便所に行きたがる。ウンコしたがる。ネタにして笑いたがる。
友人の一人など、俺がウンコをしようとしたら、割り込んで便所に入りやがった。
俺は他の便所でしたが、そいつは俺が続けて入ったと思ったらしく、
「お前のウンコ臭ぇなぁ!」などと言って、自分のクソの臭さを知らしめた事もある。
ともかく、ウンコが話しのネタになる。話題になる。
そうすると、今度はウンコの自慢になる。
「俺のウンコは長い」「太い」「黒い」「堅い」など、
何の自慢だか訳がわからんようになってくる。
小学生の頃に比べると、大きな変化だ。ウンコの話をするのだ。
しかも自慢まで!!
ここで細いウンコなどは話にならんのだ。求められているのは立派なウンコだ。
ウンコ然としているウンコなのだ。
デカいウンコが何を意味してるかと言えば、デカいケツの穴である。
つまり、度胸だ。男らしさの一つなのである。
矢張り、「長い」「太い」「黒い」「堅い」のが良いんである。
短い、細い、白い、柔らかいなど言語同断、ウンコでは無い。
ケツの穴の小さいヤツ、とはこんなヤツの事を言うのでる。
この言葉を考えついた人は偉い。調べたがわからんかった。
何でこんなウンコの話がしたくなったかと言えば、
俺が先週の土曜日にものすごいウンコを我慢したからである。
金曜日の夕飯をたらふく喰って、そのままクラブで朝帰り。
朝6時に寝て、昼過ぎに起きる。煙草吸って、みんなで飯を食いに行く。
日本食屋で$10の焼き肉定食(ご飯お変わり無制限)を喰う。
皿に5杯喰った。そんで牛乳珈琲飲んで煙草呑んで帰った訳。
まぁまる24時間、喰うだけ喰ってNOウンコだった訳だ。
すると、帰る電車ん中でウンコがしたくなる。
ここで、2つの道がある。
1・途中で降りてウンコする。帰りは電車賃要らないので、金がかかる事は無い。
2・家まで我慢する
俺は面倒なので大抵2なのだ。我慢する。友人と要る場合はなおさらだ。
俺のウンコの為に、寒空の下で待たせる訳にはいかん。
そうして俺は我慢する。
ウンコを限界まで我慢した事があるだろうか。
俺は3回ある。あの限界はすごい。(ウチ一回は下痢ウンコ
もう腹筋と括約筋と内臓との戦いである。つまりもう根性でしか無い。
あの括約筋を縦に走る痛みは、かなり凄まじいモノがある。
しかし、常時痛いのではない。波があるのだ。
それを乗り切ると、しばらくは平気なんである。
あの限界ギリギリまで我慢して、トイレにたどり着いた時の気持ちは、
何とも形容しがたい。筆舌に難い、と言うのか。
安心するのはいいが、今度はケツが痛い。
根性で、穴からコンニチワしようとしていたウンコを抑えていた括約筋。
ガチガチになっているので、今度はこれを解放するんである。
全ウンコが穴に向かってくるが、括約筋はまだ根性を緩めない。
かなり気合いの入った野郎なので、俺の好きな筋肉のひとつだ。
あ、俺は全然筋肉野郎じゃないぞジンライム!!
先の土曜日も、我慢に我慢を重ね、括約筋が割けるんじゃないかと思ったが、
事故を起こさずに脱糞できた。良かった。
小便なら立ってできるが、ウンコはそうはいかない。
椎名誠「ロシアにおけるニタリノフの便座について」
を読んだ事があるだろうか。
ロシアでは、ウンコが凍って危険なので、便所にハンマーがあると言う。
つまり、自分でして凍ったウンコを、そのハンマーで砕いてから流せ、という事だ。
アフリカなどにいくと、自然と野糞になるんだが、
便所紙をもって外に出ると、ハエと豚が追ってくるそうだ。
嫌だ。そんな中でウンコはしたくない。
ウンコをするスペースは、絶対に個室になっている。
男の便所は、小便用には仕切りがあったり無かったしするが、ウンコは個室だ。
連れションはできても連れウンコは出来ない。
ウンコをする事は、重要な事だ。ウンコをしきった顔は、ゆるみきっている。
そして大きいのも細いのも、見えない。
ただ、ウンコをする場所があるのだ。
お前の好きなあのコも、あの男も、みんなゆるみきった顔でウンコするのだ。
そんなプライバシーを守る為に、個室になっている。
何だか、いい話じゃないか。ウンコは一人でするものだ。
そう、よって立ちウンコは出来ない。
公衆の面前で小便は出来てもウンコは出来ない。
芸人のカンニング(太い方)が、舞台上でウンコしようとしたが、あれは反則だ。
ウンコをそこまでネタにしちゃいけない。
ウンコをする事は恥ずかしい事じゃないが、ネタにはなる。
しかし、そこまですると、今度は反則になる。駄目だよ、やっちゃ。
何が書きたいんだか俺自身わからなくなってきた。
あれだねしかし、どの国でも「ウンコ」「クソ」と言う言葉はよく使うよなしかし。
クソ〜と言うのは定番である。「クソ美味ぇ!」「クソやべぇ!」
まぁアメリカンが「ふぁっく」と言うのと同じだろう。
全く同じと考えて良い。全く同じ形容詞として使っている。
それほど、生活に根付いているのだ。
当たり前の事だが、どうかウンコを考え直して欲しい。
今朝のウンコはどうだったのか、考えて欲しい。
あまりに貧弱なウンコは、何かの病気である。
死んだ祖父も、ガンになってから鉛筆のようなウンコしか出かなったそうだ。
今日も、俺はでっかいウンコをした。
死ぬまでに、ヒマラヤを越えられるだろうか。
死ぬ前に、生巻きクソを学校の便所で見たい。
ウンコを考え直せ。学級文庫。
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