異邦人
葉leaf




ふるさとはこの国の中心でも周縁でもなかった。中心や周縁という区分、正常や異常という区分、そういうものが消滅する場所がふるさとであった。そこには無数の人々によってじかに生きられた地図が、それぞれの光でもって縫い合わされていて、無数の人々にとっての意味や記号が繁茂していた。勝敗というものを初めから放棄している、そもそも規範だらけのゲームには初めから参加しない、そういう柔軟性がふるさとにはあった。

私は夏休みにふるさとに帰り、所用を済ませるため自転車で近くの商業地帯へと行った。用事を済ませた帰り道、歩道には歩いている高校生や自転車をこいでいる老人など、多くの人たちが行き交っていた。私はそのとき不意に、自分がそういった赤の他人と全く同じだという感覚に見舞われた。私は名も知らず心の内側も見えない歩行者や通行者と何ら変わるところのない、一個の物質的な人間だった。私は「私」という王国からいつの間にか追放され、まったくの異邦人となっていたのだ。私はもはや世界の中心でもないし意識の主体でもない。「私」という王国の外側に居る、素性の知れない異邦人なのだった。

そもそも「私」というものは一個の美しい幻想に過ぎなかった。歴史によって丁寧に育成されたかけがえのない尊い自我など存在しなかった。だから「私」という王国も、実質的には、神殿だけが豪華で人一人いない廃墟に過ぎなかったのだ。私は名もない異邦人として、夏の光のただ中でふるさとの地図を丁寧に描いていた。「私」という王国が存在しない以上私は異邦人ですらなく、ただの一個の人間であり、ふるさとを生きることで一個の地図を、他の無数の人間たちと共にふるさとの最奥に寄せ書きしているだけの存在だった。


自由詩 異邦人 Copyright 葉leaf 2014-11-22 08:04:40
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