夜更けの紙相撲 霜月あるいは食物月(おしものづき)
そらの珊瑚
スーパーマーケットで、安寧芋という名前の芋を買ってきた。鹿児島の種子島の特産品らしい。
よく出回っている鳴門金時芋より少し高いけれど、トースターで焼くと黄金色の身は柔らかく溶けるようで、それだけでもう甘くて美味しいスイーツになる。
埼玉に住んでいた頃、ベビーカーに乗せた息子と夫と私で、川越に遊びに行ったことがある。川越も芋の産地だった。芋のお菓子の詰め合わせのセットを買って夫の実家に持っていったときのこと。
義父が
「戦争しとった時、芋ばかり食べておったせいか、どうも芋は好かん。すまんなあ、せっかく買ってきてくれたのに」
と言う。
私の実母などは芋が大好きなので、お年寄りは皆芋類が好きだという先入観があって、その言葉が意外だったのでよく覚えている。
いくら美味しいものでも、そればかり食べていたら嫌いになるってよくわかるし、それが戦争にまつわる思い出も蘇らせるものであったら、平和な今、食べたくない気持ちもとてもよくわかる。
中学生の時だった。いっとき、お八つがクルミの缶詰だったことがある。
ほんとかどうか知らないけれど、クルミは健脳食で、それを食べると頭がよくなると母がどこかで聞いてきて、たくさん仕入れてきたのだ。
カリッとローストしてあって、砂糖がまぶしてあったクルミは最初は美味しかった。
それを一ヶ月か、二ヶ月か、はっきり覚えていなけれど、食べ続けていたら、ある日身体がクルミを受け付けなくなったのだ。
はっきりいえば、胃が逆流した。
その日以来今に至るまで、私はクルミが苦手であるし、あの時頭がよくなったという実感がまったくないのが、悔やまれる。
けれどクルミが思い出させるものはどこか温かい。それが根拠のないものであっても、あれこそ親心だったのだと、自分が親になった今とてもわかるのだ。
食べたものが自分の身体を作るってこと、実際そうなのだと思う。
食べたものが血になり肉になり、人間は生きている。
それと同時に食べたものによって、心も作られているのだろうし、運が悪ければ心が壊れることもあるかもしれない。
米はないけどせめて芋だけでもと、子供に食べさせたであろう昔の日本の多くの親の親心。
芋にまつわる物語、それを想像すると、ありふれた芋という根っこが特別なものに見えてくる。
トースターの中で、安寧芋の糖分が元気よくはぜた。
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