宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために
Sabu

宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために
〜とくに「み神楽」「口碑」「日天子」の解釈について〜

◆はじめに
 先月3日に、Giton氏宛てに、氏からの質問に答える内容で「み神楽」「口碑」「日天子」の解釈についての私見を、私信という形で送付しました。しかし、お送りしてから丸一箇月が経過しましたが、残念ながらGiton氏から全くレスポンスがありません。そこで、氏からの返事を待つのはあきらめて、賢治作品に関心のある方に、文語詩「雪峡」の鑑賞と理解のために役立てていただきたいと思い、改めてここに私見を投稿させていただくことにしました。

 論点の重複を避けて要点のみを述べているため、文書グループ 討論(自由参加)「宮沢賢治詩の分析と鑑賞」にあるGiton氏の「笛吹き少年の行くえ(1)〜(8)・(付)」と併せて本稿をお読みいただければ幸いです。

◆「み神楽」の意味について(確認)。
 宮中で行われる神楽を、民間の神社で行われる神楽と区別するときに、前者を「御神
楽」、後者を「里神楽」として対比させることがあります。けれども、たとえば有名な岩手県の南部神楽の式舞に「みかぐら」という演目があるように、「みかぐら」だからといってそれを宮中の神楽に限定しなければならない理由はありません。この文語詩作品の「み・かぐら」についていえば、日本国語大辞典第二版の解説にもあるとおり「神楽を敬っていう語」という理解でよいと思います。

 そもそもこの文語詩にうたわれた情景の中にある「み神楽」は、山里に古くから伝わる神楽がふさわしく、Giton氏がいう皇室行事の神楽では場面が唐突に過ぎて、前後の脈絡がちぐはぐになります。詩の情景として山里の神楽が想起され、意味としては、「御神楽」や「里神楽」のような対比区分を超えた原初的な「神楽」、もしくは「神遊び」の象徴として鑑賞したいと考えます。

◆「なだれ」か「吹雪」か、遭難譚の「口碑」と「神楽」との相互関連について。
 この文語詩の下書稿には「なだれ」という題が一度あらわれ、後に消されています。
そのような作品の成立過程は、新校本全集の校異篇に詳しく記されており、賢治の文語詩をよむ人にとっては既知のことです。最終稿において、賢治自身がその題名を採らなかったのですから、一度下書稿にあらわれて消えた「なだれ」という言葉に過度にこだわりすぎると、むしろ最終稿の鑑賞を歪めてしまいます。文語詩下書稿の校異をたどれば、童話「ひかりの素足」や「水仙月の四日」との関連を無視することはできませんから、詩の背後にかくれているのが「なだれ」ではなく、「吹雪」による遭難譚であったとしてもよいでしょう。したがって最終稿については、詩の背後にある遭難の原因が「なだれ」であっても、あるいは「吹雪による行き倒れ」であっても、それほど大きな問題ではないと考えます。

 ちなみにGiton氏は「なだれ」が原因であることを前提に、さらに「神楽」を「なだれ」の前兆の轟音に結びつけて解釈しています。しかし、その解釈には基本的に無理があります。なぜなら、仮に「なだれ」を想定した場合、この詩の情景からすれば新雪による表層雪崩ということになるはずですが、表層雪崩は基本的に前兆のとなるような轟音を発しない性質をもっているからです(その点土砂崩れ等とは違います)。より厳密にいえば、不安定な積雪層内から出ることのある「ワッフ音」と呼ばれる単発的な音が、歩く人に聞こえることがあるかどうか、というくらいです。

 さらに吹雪や雪崩によって村人や旅人が行き倒れたり、遭難したりしたことは、かつての雪国ではそれほど珍しいことではありません。Giton氏は下書稿の「口碑」にある遭難事故が「人々がそれを隠蔽しようとする」出来事であったととらえています。しかし、文語詩作品が下書稿から最終稿に変わっていく過程で、遭難にまつわる「口碑」の記述の大半が詩の背後に隠れてしまったのは確かですが、それは遭難事故を社会的に隠蔽するというような次元の理由ではなく、文語詩として賢治が作品の完成度を高めるために行った創作上の理由によると考えます。以上を考え合わせると、「笛吹き少年の行くえ(1)〜(8)」において、Giton氏がことさらに「宮中」、「怪異」、「轟音」、「暴力」、「タブー」といった連想を引きあいにして、「神楽」や「口碑」の遭難譚について解釈をすすめている点に、かなり無理があると感じます。

 下書稿(三)の「口碑」は、単に遭難事故を記したのではなく、事故が起こった翌朝の情景と雪の中でみつかった児の顔に残された“表情”を記したものです。私は、それが痛ましい遭難であったからこそ、意外にも苦痛から解き放たれたようなその児の表情が、なお一層鮮やかに人々に記憶され、口碑として伝えられたのだと思います。既述のように、下書稿の「口碑」等に記された具体的な素材(賢治が見聞きし、記した体験)は、文語詩作品になってゆく過程で表面的には消えたように見えます。しかしそれは消えたのではなく、文語詩中の「神楽」という象徴的な言葉に相転移したものと私は考えます。それゆえにこそ、「神楽」の解釈は、文語詩「雪峡」全体の鑑賞に大きく影響することになると思います。
【筆者注】「相転移」:鉱物学分野の言葉で、同じ化学組成の鉱物が、異なる温度・圧力条件の下で、異なる結晶構造の鉱物に変わることを意味します。ここでは、短唱「冬のスケッチ」や文語詩下書稿等に見られる賢治自身の体験や素材が、文語詩の言葉として結晶化する過程の比喩として使用しています。

◆「日天子」の解釈と「神楽」との関連について。
 この作品の鑑賞にとって「日天子」の解釈は「神楽」と同じくらいに重要なものです。
東北の雪国に住んでいると、ひどい荒天の日の翌朝に、前日の吹雪がまるで嘘であったかのような青空に出会うことがあります。そういう日には、しばしば大きな雲の影から太陽(日天子)が踊り出るように顔を出す情景を目にします。それは力強く美しい冬の情景であり、Giton氏がいう災厄の形象というような秘密めいた不穏な印象はありません。Giton氏は「奔せ出で」という日天子の描写を、「デフォルメされた暴力的な表現」と受け止めますが、全く異なる「リアルな深雪晴れの天空の描写」と受け止めることもできます。むしろ後者のほうが、童話「ひかりの素足」に登場する「その人」のイメージにも重なると思います。

 さらに「神楽」との関連でいえば、地吹雪の夜と、光あふれる深雪晴れの朝が入れ替わる、ちょうどそのように、大自然の恐ろしさとやさしさは表裏一体のものです。そして、先に述べた「神楽」というものの源流にある「天地創造の神話」や「一陽来復」に込められた人々の祈りは、そういった原初的な自然感覚に通じるものであったと私は考えます。人々が生死のはざまで抱く切実な思いは、古代から現代までそう簡単に変わるものではありません。そのような解釈があるからこそ、「口碑」にあった児の不思議な表情を「神楽」という言葉の背後に思い描くことも可能になります。Giton氏は記紀神話や一陽来復への連想を「おおらか」とか「心暖か」という形容だけでとても軽く扱っていますが、それらの神話や祈りというのは、そんな生ぬるい「お話ごと」ではありません。

◆おわりに
 賢治の文語詩は読み手によって世界が大きく膨らむところが特徴であり、そこに独自の魅力があります。しかしその一方で、そぎ落とされ、凝縮された「言葉」の解釈次第で、鑑賞が大きく変わってしまう危険を併せ持っています。少なくとも「雪峡」におけるGiton氏と私の鑑賞の違いは、その実例になるかもしれません。文学作品にとって多様な解釈がなされることは悪いことではないですが、無理な解釈に基づいて他者の解釈や鑑賞を一方的に批判することは、作品や作者が望んでいることではありません。賢治作品の一読者としては、ひとつひとつの言葉に注意しながら、謙虚に作品に向き合っていきたいと思います。

 この文書グループの場を開設し、文語詩作品を再読する機会を与えていただいたGiton氏に感謝申し上げます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。   (2014.11.03 Sabu)


散文(批評随筆小説等) 宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために Copyright Sabu 2014-11-03 16:01:11
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