秋の雲
八布

 秋の雲、と聞くと鱗雲のような、空の高い層にある雲を思い浮かべるが、その日の雲はロールパンのようにふわふわとした、いわゆる綿雲だった。言ってみれば季節はずれのその雲の形に、それでも僕が秋を感じたのは、もしかすると旅情のせいだったかもしれない。秋の雲は人を旅に誘うと言う。そして僕はこの文章を他でもない、旅先で書いているのだ。
 旅に出てつくづく思うことは、旅人に必要なものは食料でも着替えでもなく、道だということだ。道が無ければ人は旅に出ることはできない。当たり前すぎるほど当たり前のことだが、これは意外に盲点で、少なくとも僕は自分が旅に出るまでこんな簡単なことにも気づかなかった。だから僕が歩いたあとに道ができるという一節は、詩的には素晴らしいが、残念ながらフィクションだと言わざるを得ない。道があるからこそ旅ができるのだし、旅という概念があるからこそ、人は安心して旅人になれるのだ。
 今、僕は道の終わりでこの文章を書いている。つまり僕の旅はここで終わりというわけだ。目の前にはおだやかな海が広がり、そのまた先には水色の空が広がっている。そう、前述した秋の雲はその空に浮かんでいるのだ。旅の終わりの空に悠然と浮かんでいる雲を、僕はどう考えたらいいのかわからない。羨むべきか?それとも憧れるべきか?答えはもうわかっている。思い切って背を向けて立ち去る他ないのだ。なぜならこの先に道はないのだし、そもそも最果てという言葉は人のためにあるものではないのだから。


散文(批評随筆小説等) 秋の雲 Copyright 八布 2014-10-24 22:44:39
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