精通
ただのみきや

少年時代 
今とは違う奇妙な生き物だった


そのころ家の近くには古い寺があり
髪の毛が伸びると噂される少女の人形が納められていた
人形を実際に見たことはなかったが
子どもたちが人形の存在を疑うことは無かった

十二歳の夏の夜 蛙が一斉に鳴きやむ刻
目を覚ますと 厚ぼったい四十万に耳は欹ち
二度と寝付くことができなく思えてくる
朝はあまりにも遠のいて――
闇に馴れた目は昼間と違って見える壁の模様をなぞっていた

――微かな音に気がつく 硬い ネズミじゃない
カーテンのない窓 網戸が少し開いている 嗤うように  
挟まっている何か ナニカ なにかではなくそれは――
アタマ…… 黒髪の 人形のあたま 頭!

波紋を起こさないよう そっと寝返りを打つ 
だが水は走り抜け一トンもある静けさに押し潰される
正気のまま氷嚢を抱いている
一年にも思えた 恐らく数分間 
鼓膜のノイズが痛いほど頭いっぱいに響いて
だけど背中で感じる恐怖には上限がなかったから
私は全身に力を込めて振り向いた――
――そこに もう人形の姿はなかった
筋張ったままの安堵 思いは廻るが 白く疲れ果て
いつの間にか眠っていたのだ


私は昨夜の出来事を誰にも話さなかった 
知られてはいけない そう感じていた
太陽の下では全てが掻き消される 陽射しは途方もなく私を強くした
友だちと一日中外で遊び――焼けた肌に汗がヒリヒリして
午後には真っ赤なスイカで体を冷やし夕方にはいつものテレビで笑う

私は日が暮れる前にしっかりと窓を閉め鍵を掛けた
窓からできるだけ離して布団を敷く 明け方まで漫画を読むつもりで
だが 疲れが出たのか あっという間に眠っていた 
点けっぱなしにした電燈もわざわざ母が消してしまったようで
物音に目を覚ました時 お膳立てはすべて整っていたのだ
 ――コツ コツ と ちいさな硬い音   
見定めるのが怖かった だが目を瞑ったまま
 ――ちいさな子どもの骨だけの手が硝子を掻き毟るような――
そんな音を聞き続けるには朝陽は永遠に遠かった

目を開けた 予感が外れることはなく――
 ――窓に張り付いた ちいさな おかっぱ頭
その光景がそのまま青白い死人の手のように私の顏や首筋を弄び
やがて体内に入り込み肺や心臓を掴まれるような気がした
その時奇妙な違和感が下腹部にあった
私は布団に潜りこみ胎児のように丸まって耳を塞いだ
しばらく震えていたが やがて眠りに落ちた


翌日は終日雨だった
風もなく真っ直ぐに降る 雨音は頭のどこかを軽く痺れさせ
うっとりするような 何やら興奮しているような そんな日だった
私は家の中でごろごろと漫画を読んで過ごしたが
夕方になると胸が益々高鳴った
( キョウモ クルカナ……)
不思議だった 
人形が雨に濡れてしまうことが良くないことに思われた
その晩 鍵を掛けず ほんの少し窓を開けたまま
早々に布団を敷いて眠りに就いた

やはり夜中に目が覚めた
気配? 違う…… いつもと
触れた! 頬
来ている! 間違いない!
 ――私は目を開けた

アアあああああああああああああああああああああああああァぁァぁ
         赤イ/イトノヨウナクチビルガ/ソット開イテ/
                人形ノ顏ガ/私ニ覆イ被サッテ/
                私ハ/全身ガ怖気/粟立チ/震エ
     私モ/バネ仕掛ケノ人形ミタイニ/跳ネ上ガリ/発作的ニ
             人形ノ首ヲ/絞メテ/驚クホド細クテ/
             闇ノ中/ウッスラト光ルヨウニ/白ク/
          アア/何カガ下腹部デ膨レ上ガリ/駆ケ上ガリ
             私ハ/人形ヲ/布団ニ押サエツケタママ
               ドウシテカ/説明/シヨウモナク/
                      抑エ/ラレナカッタ
              /気ガ付ケバ/赤イ着物ヲ/肌蹴サセ
         冷タイ/素肌二/夢中デ/舌ト/唇ヲ/這ワセ/
     呼吸ガ/近所ノ老人ガ/連レ歩ク/黒犬ノヨウニ/荒クテ
       私ハ/人形ガ/怖カッタシ/自分自身ガ/怖カッタ/
                       ソシテ/堪ラナク
             /タダ/モウ堪ラ/ナ クテ/…/アァ
                    

目が覚めると
人形の姿はどこにも無かった
窓は閉まっている
光が白濁して視線が重い
あれは夢 そう 思いたかった
良くないことだと感じていた
知られてはいけないことだと

以来 私の中に一匹の雄が目を覚ました
汚れた下着を母親に見つからないように隠した
あれが初めての射精だった




               《精通:2014年10月15日》








自由詩 精通 Copyright ただのみきや 2014-10-21 22:17:58
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