小保方さんと二つの条件
Giton
.
Oさんに関して早大が博士号取り消しに関する決定をしたということで、またもやこのニュースが世間を賑わしているようだ。
自分の感覚としては、今頃になってこんな決定をするのは遅すぎるという感じがしたが、それはともかく、決定の内容に曖昧な点があってよく分からない気がするのだ。
このような場合、決定の仕方としては、つぎの2通りがあるだろう:
〔A〕この決定の日から1年以内に再提出された論文が、再審査の結果、博士号にふさわしいと判断された場合には復活することを予定しつつ、現時点において博士号を取り消す。
〔B〕この決定の日から1年以内に再提出された論文が、再審査の結果、博士号にふさわしいと判断されなかった場合、および1年以内に論文の再提出がなかった場合には、あらためて決定するまでもなく、1年経過により博士号は当然に取り消される。
〔A〕であれば、現在時点(2014年10月8日)において、Oさんには博士号は無いことになる。たとえば、この1年のあいだでも、ほかの論文を、「理学博士 O」という名で出せば、詐称になる。
〔B〕ならば、現在時点においては、まだ博士号があることになる。
そして、〔A〕の決定は、“O論文は博士号に価しない”と判断したうえで、しかし、Oさんが速やかに訂正・再提出した場合には、復活する余地がある──ということは、つまり、Oさんの博士号授与は無かったことにして、‥あらためて適格な論文が提出されれば再度授与する──というのと、それほど変わらない決定をしていることになる。
(その場合、「1年」の期間を設ける意味は無いようにもとれるが、‥そもそも早大の博士論文審査というものが、誰でも願書を添えて論文を提出さえすれば行われるものなのかどうか‥そうではないとすれば、Oさんにとっては、再提出論文を確実に審査してもらえる期間として意味があることになる)
これに対して、〔B〕の決定ならば、“O論文は、(不正さえなければ)内容的には博士号に価する”と判断したうえで、ただし、訂正が速やかに行われなかった場合には、博士号を取り消すのもやむを得ない‥と言っていることになる。
したがって、今回の決定が〔A〕なのか〔B〕なのかは、少なくともOさんの関係者にとっては重大な違いではないかと思われるのだが、
早大の決定は、どちらなのだろうか?
NHKニュースを見ると:
「早稲田大学は7日、小保方リーダーがおおむね1年以内に論文を再提出し、博士号にふさわしいものになったと判断されない場合博士号を取り消す決定をしたと発表しました。」
「7日会見した早稲田大学は、小保方リーダーが一定の期間内に論文を訂正し再提出しない場合、博士号を取り消す決定をしたと発表しました。」
NHKの報道にミスがない限り、早大の決定は〔A〕と〔B〕のあいだでお茶を濁した曖昧なものと言わざるを得ないのだ。
つまり、つぎのような疑問が湧いてきて、解決できないのだ:
? 現時点で、Oさんには博士号は、あるのか?ないのか?
? 「おおむね1年」とは、1年何ヶ月なのか?
? 期間内にOさんが何もしないで過ごした場合には、どうなるのか?(Oさんは単に条件をつけられているだけであって、論文を再提出する義務を負っているとは解せない)早大はあらためて会議を開いて、博士号を取り消すかどうか審議するのか?
ここで、かりにOさんの立場に立てば、“論文の再提出”はきわめて簡単なことだと思われる。
「小保方リーダーが早稲田大学に提出した博士論文を巡っては、NIH=米国立衛生研究所のHPの文章とほぼ同じものが‥およそ20ページにわたって見つかるなど文章や画像を盗用した疑いが複数、指摘されました。」「大学の調査委員会はことし7月、‥完成した論文にも不正が6か所あったと認定しました」(NHKニュース)ということならば、単に、大学が指摘した6箇所を削除して提出すればよいはずだ。あるいは、文章は「 」で囲み、画像(改ざんが無ければ)はそのままにして、出典を注記すればよい。
ただ、それらの箇所を削除・訂正した場合、論文の結論が根拠のないものとなるかもしれない。そうはならなくとも、Oさんのオリジナリティーが認められないことになるかもしれない。
しかし、いずれにせよ、科学の成果は個人のものではない。Oさんがこの研究によって、新たな真理を発見したとの確信があるならば、それはOさんの手を離れても、いずれは再発見されるはずだ。Oさんは、“記者会見”の時点で、そのことをよく理解していたのではなかったか?
しばらく前になるが、私は、こんな経験をしたことがある。ある公益法人で働いていたときに、現職の私立大学教授が、その協会のシリーズ本に寄せた論文に盗用の疑いがあるとの理事からの指摘があった。そこで、理事に手渡された本(これまた、その協会の領域分野では有名な本だったが)と対照してみると、一字一句同じものを、単に複写して自分の名前で提出しているのだ。
こんなことをする人がいるのだろうかと、あきれてしまった。
シリーズ本を早急に改訂再版すること(該当論文を削除して)が、その理事の主張だったので、改訂再版費用は著者に負担してもらおうと私は意見したのだが、それは容れられなかった。
その時に、別の理事(この人は国立大学の教授)が私に言うのには、
「ギトン君、こんなのはよくあることなんだよ。学者ってこんなもんなんだ。」
とにかく、科学の成果は個人のものではない。‥それは私も承認する。個人のものではないことが胸に刻まれているから、責任意識も薄らぐのだろうか‥
学者同士が論争をすると、論点が掘り下げられて科学は進歩する‥ということも、よく言われる。しかし、それは、論争の参加者が、科学を目的にしている場合に限られないだろうか?
私にはまだ、この世界がよく分からない‥
.