序曲
葉leaf
都市の中心部に何の華やかさもない機能だけの建物が立っている。だがこの建物はどこからどこまでも限りなく意味に満ちているのだった。建物の内部は若干冷たく湿った空気により満たされ、事務用品や書類などのかすかな乾いた匂いが辺りを浸している。壁には案内板やポスター、座席表などが貼られ、全ては中枢によって統御された組織系統によって秩序付けられているが、末端では中枢がもはや分解された観を呈している。人々は通過に通過を重ね、あらゆる場所に人々の過ぎ去った名残が影のように溜まっている。このすべての神話と幻想を拒絶するような建物は、新しい神話と幻想の到来をいつまでも待ち続けている。その証拠に、いつ始まったともしれない慣習や手続き、人々の勤務だけでは説明のつかない出来事によって建物はひそかに語られうるのである。
サラリーマンは建物の一隅に花のように活けられる。デスクの並びは品評会での鉢植えの並びさながらに美的に構成され、だがもちろん人々は行儀よく並んでは居ず、活けられた植物は移動に移動を重ね、交渉に交渉を重ねるのである。サラリーマンの仕事に終結というものは存在しない。世界の果てまでやって来たと思ったら、そこからまったく異なる世界が始まり、最高峰にまで達したと思ったら新しくさらに高い頂上への山頂が開ける、そんな風にして仕事は常にサラリーマンを裏切り、サラリーマンに地図のない沃野を示し続けるのである。
組織は数限りない意味の旋律でできた一つの調和体であり、サラリーマンには一区画ずつ意味が割り当てられていくが、もちろんこの意味は輪郭があいまいであり、他の意味と静かに重なり合っている。サラリーマンは一人一人個性的な意味を担っている。ジャズが好きとかパソコンが得意とか前はこんな課に所属していたとか。だが、組織によって割り当てられた意味を充当するため、一人一人はそれぞれに自らの意味を拡張していき、サラリーマン個人の意味が組織の意味よりも豊かになったとき初めて仕事は完遂される。この建物は一つの大きな辞書であり、サラリーマンはいくつかの項目をまたぎながらその与えられた項目の意味を流麗に書き込んでいくのである。
サラリーマンは他人とのコミュニケーションを完璧に行うことはできず、その不備を笑顔や態度で補っている。コミュニケーションの不完全さは澱のように溜まっていきサラリーマンはその澱を様々な薬品で溶かしていく。だがサラリーマンは仕事を愛し、組織を愛し、建物を愛している。仕事は常に新しく予想外の刺激でサラリーマンを楽しませ、達成の快楽や困難の克服の満足感を伴う。仕事は常に新しい知識やスキルを働きながら獲得することであり、その動的で責任の伴う発達には中毒性がある。何よりも、サラリーマンは仕事に己の社会的生存をかけており、つまりは仕事に社会的な命を懸けているのであり、仕事は命がけのスリルに満ちた賭けなのである。
かつて人は自然を愛した。かつて人は家族を愛した。かつてひとは恋人を愛した。そして沢山の歌がそう言った愛を歌った。現在、人は仕事を愛している。かつて人が愛するものを歌ったように、人は仕事への愛を歌い上げるだろうし、この歌はその序曲となるものである。