いのり その②
すずき のりこ


毛沢東氏はGDPよか詩(イデオロギー)を選んだのかなー、の結果が、この限界だとしたら(ちょうど、日本のA級戦犯が日本のGDPに蓋をしてしまったように)(ちょうど、やり手の資本家やら投資家たちが蓋の正体にパイを投げたくなるように)、一旦、回収できうるならば。東シナも南シナもウィグルも、ツイートやYouTube(4K版がでたら凄いな^^)の方が当局にとっては脅威なのかしらん(破壊と創造が頃合いよく繋がるかしらん)。わたしたちにとって身近過ぎて生活のなかに普通に転がるネットなんかでは、イデオロギーも文明も対立がとっくに(やがて^^)消えてゆくかわりに、何らかの規制をめぐる対立のみが、例えば、文化問題だったり、政治抑制だったりが、伏線の一線になるんでしょうか。フランスで反アマゾン法が成立しました。これは、フランスの文化(書店)を守るためのものかしら、へー(^^)とか。

わたしの戦争も平和も願いも祈りは所詮、妄想なんだから、妄想を遊技にしてしまえばいいかもしんない。もっと妄想してみよう、がいまは、しばらくは大切な感じです。戦争(破壊)も平和(創造)も讃美(賛否)される歌のからくり、映画も芸術もにおいが似ていて、ひとしきり産業化もされていて 戦争(憎しみ)がなくなったら愛もこれほど歌うこと(価値)もないのかしら なんて妄想するのも愉快ですょ。

戦争がなければ愛は恋に移ろい変わるだけともいえなくもなかったりしてね。戦争よりも病原体のほうがわたしは、人類にとって深刻なのかもしれないと時々に思うのだけれど、可視化しやすい可視化しにくいってことのレベルで、妄想はおろか議論もされなかったりして。病原体にしても、天災にしても、人間性を帯びた破壊のなかに(その方が親しみやすいというか)、擬人的な破壊神を可視して、愛や憎しみが臓器のなかへ、生命力を吹き込み忍び寄るものなのかとおもえるし、戦争はおちんちんのようで、平和はおまんこのようで、求愛と生殖が産業(経済)のように、これら三角関係がむかしから営まれていて、 永遠に一対の愛憎はつきないかたちのドラマになっているのかしら。といった妄想。



終わらなかったみたい。





自由詩 いのり その② Copyright すずき のりこ 2014-08-20 22:18:58
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