脈動
葉leaf



新しく入った職場で私は一番の若手であり、これまで肉体労働を転々として来た身として事務労働は初めてだった。電話の取り方から来客の対応、文書の書き方などすべて未経験のところから責任のある仕事を任され、ミスをしては先輩や上司に指摘された。私はいわば賤民だった。人の集まりは必ず最下層を必要とする。私はその最下層に配属された、まずそれが本当の就職の意味であろう。

あるとき、ラジオ局から仕事の取材があった。私は原稿を用意して、繰り返し音読し、不自然さがないか、相手に伝わりやすいかなど工夫して収録に臨んだ。だが収録時は緊張してしまい、声が高くなったり低くなったり、話が早くなったり遅くなったり、噛んでしまったり散々だった。放送の日がやって来た。上司に言われ職場でラジオを流したが、私はハラハラしながら聞いていた。だが、現場の一番偉い上司は一言一句漏らすまいと丁寧に聞いてくれ、放送終了後私に心からのねぎらいの言葉をくれたのだった。私は強く心を打たれた。こんなにも仕事ができない自分の努力を認めてくれたということに、涙が出そうなくらい喜んだ。もちろんそれは賤民の喜びだ。地位の上下を前提とした喜びだ。だが、労働には、このような他者との応答の中で築かれていくリズム、仕事に応えていく中で形成されていくリズムがないだろうか。

自分には自分のリズムがある。それは華やかに乱舞することもあれば暗く停滞することもある。このリズムは確かに侵してはいけないのかもしれない。だが労働というものは自分のリズムに何か新しいリズム、脈動を加えてくれるものではないだろうか。どんなに気持ちが沈んでいても、楽しい仕事に取り掛かれば自然とその仕事のリズムに巻き込まれて、沈んだリズムに楽しいリズムが混ざってくる。不毛な悩みに巻き込まれていても、人と仕事の話で盛り上がれば悩みの混雑したリズムもどこかほどけていく。仕事には独自の多様な脈動があり、自分の脈動に重なったり加えられたりして、どんどん新しい脈動を生み出していく。自分が一つの旋律であるとするならば、仕事はそこに重なっていく第二第三の旋律として音楽を豊かにしていくであろう。労働には人間に干渉してくる脈動する生命がある。


自由詩 脈動 Copyright 葉leaf 2014-08-14 04:34:50
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