夢見る惑星マジックテープオーケストラ
さわ田マヨネ

 淡いタイプの夕日が差し込んでいる、すこしやわくなった空間でふわついてた、なにするわけもなくそんなときあるよね、僕はなぜかそんなときがあった『そんなときある派』側の人なんだけど、そんな人なんだけど、はなしてもいいですか、そのときのこと。そのとき僕は、だからまあふわついてたんだけど、ただそれだけだったとそういってしまってよかったんだけど、実はひとりきりでふわついてたのではなくすぐちかくにはひとりの女がいて、私雨が好きなのと急にのたまいだすような女がいて、僕はその女とは初対面なんだけど、初対面なのに私雨が好きなのといきなりはなしかけられて、どうしようって、ふわついてたからそうなるよね、あのときまちがいなくふわついてたと思う、つたない調子でとりあえずどんな雨が好きなのかその女にたずねてみたら、その女嬉しそうに特に夏の暁雨が好きなのって返してきてそこで一瞬で鼻についた、なんだよなつのぎょううってって、過去に自分のこと雨がけっこう好きだなとなんか思ったりしたことしごかいほどあったけど、わりと本当に雨が好きだなとそのときちゃんと思ったんだけどしらない、そんなの、

 木々が茂る季節に降る明け方の雨は気温が上がってくると虫がわきだすからきらいだと思った、雨と種類でスペースをはさんでパソコン使って必死に検索している今がとてもさもしいのだと感じたとして、でもそれってコンディションとタイミングによるところが大きいんじゃないのっていう、ただ単に夜明け前のフルーツグラノーラが格別にそんな気分にさせたんじゃないのかという疑惑がそこで芽ばえた、同時になにかがしぼんでいく感触の中で、像がとびはじめ白い世界に包まれていく心地今日はきっと晴れるだろう、そんなことを思いながらおやすみが、輪郭を失ったおやすみがひかりの中に隠れていくような、あるいは実はずっとそこにあったんじゃないかという、おやすみが、もうずっとそこにあったんじやないのかというそういうしつこさでそれくらいのねむれなさでそれなりのねむたさをもうずっと維持していて、維持したくないのに維持していて、そのくせ自分で自分のねむりはじめる瞬間にたちあえないのがもどかしいと内心思ってもいて、手ばなさないといけないのに、手ばなさないといけないのに手ばなさないことをだれもが責めないみんななにかを手ばなしてるのに、手ばなすことでねむっているくせに、ねむりにつくくせに、だからきらいだと思った、こんなぐしゃぐしゃなノイズみたいなものどうにかしたいと思ってる、思ってるんだなあおにぎり▲





 それはよく晴れた日だった。未来のファミリーレストランをみつけたよ、そういって雨マニアの女につれてかれたのはくら寿司で、なんでほいほいついていったのか最初は後悔しかけたけど、レジ付近にはちょっと江戸テイスト入ってるくら寿司オリジナルキャラクターのカードゲームが四枚入り52円というよくわからない激安価格で売ってたりして、どことなくチープな雰囲気を醸し出しているけどそれがとっつきやすくていいなと思った。くら寿司のシステムとかは確かによく考えるとごりごりにロボ化している、でも絶妙なチープさでもってそれがぜんぜん怖くないのがすごいと思う。むしろくすぐられるというかわくわくさせるものがあって、くら寿司恐るべしっていう雨マニアの発言がちょっと鼻につきながらもしっくりときた。いくらテクノロジーが進歩しても50年後も残り続けるであろう、そんな偉大なるいくつかのスナック菓子のことだとか、僕たちはチープさについてもっと真面目に考えるべきなんじゃないだろうか、そんなことを隣のテーブルで勉強している女子高生を見ながら思ったりしていた。


 くら寿司をでて僕と雨マニアはこれなんとなく帰ってるっぽいかなっていう、それっぽい方角へとどちらからともなく歩きだしたんだけど、やっぱりざっくりしていて、やめればいいのに二人ともたいした知識もないのに近未来SFっぽい話題をはじめちゃったりしちゃって、でもなんだかんだそれとなく盛り上がったりした。うわついてたのかもしれない、『狂人化したサイボーグの人権を保護する法律』ができるあたりでこの世界はもうひととおり完結したといっていいのではないか、というよくわからない持論が突然僕の脳内から生みだされ繰りだされてしまった時だけは変な汗をかいてしまったけど、おおむね楽しかったといえた。20年後あたりには『ベランダー』という夜間限定で営業している釣り堀が流行ってて、そこで人々は手づかみででかいスカイフィッシュをとらえるのに躍起になっている、というもはやSFというよりオカルトによった雨マニアの予測については、『UMAは実は普段いたるところにうようよいるんだけど太陽光の中に潜むことができるから僕たちには見つけられない説』を強く推したい。


 誰にとってのどんな自然さなのだろうと常々不思議に思ってたのだけど、そのあとは自然な流れで雨マニアの女とセックスをすることになった。ぴったしというわけではないけどこまかく形容するのはめんどくさいというか難しいというか、自然な流れ、はとにかく使ってしまいたくなるわりと収まりがいい言葉なのだとそこで知った。雨マニアとしたセックスはたぶんそこら中にごくありふれていたセックスで、相手を満足させられた気は一切しなかったけど、それよりも普通さというか、こんなスタンダードっぽいセックスでよかったのかということが気になってしまった。セックスのひきだしなんてそもそもないけど、もっとへんてこなのを彼女は求めてたんじゃないのか、くら寿司が好きな雨マニアの女はすやすやと寝息をたてていて、そこでなんとなく彼女の右手を手にとってその指さきをなめてしまう。とくに意味はなかったんだけど、そういうときもあるよね。僕にはあったんだけど、なめた彼女の指さきからはなんというか焼きとうもろこしみたいな味がして、こいついつのまにとんがりコーンを食べていたんだろうという感想がうかんでちょっと笑ってしまった。もし僕とのセックスで雨マニアの指さきがとんがりコーンになっていくのだとしたら、それは気にいってくれるくらいにはおもしろくていい線いってるんじゃないかと思うんだけど、どういう原理で指さきがとんがりコーンになるのかが結局わからない。そもそもそんなことありえるのか?僕の偉大なるスナック菓子リストにはとんがりコーンは入ってないのだけど、とんがりコーンにはとりあえず25年とんがりコーンくらいは生き残ってほしいと思った。


 それからは知識もないのに未来の人類についておもいを馳せていた。あたりまえだけど人類は未来にいくんだけど、この先の人類にはくら寿司くらいの近未来感でとどまっていてもらえたらいいのになと思う。未来の人類は全身の毛が抜け落ちていて、替わりにマジックテープを埋め込んでいる、くらいの塩梅がちょうどいいと思う。よく使う文房具とかをからだにはりつけておけたらすぐ取りだせて便利だと思うんだな。セックスをするときは陰毛のところにマジックテープが埋め込まれているから、触れあってははなれあうたんび、かすかな抵抗感をひきずりながら音だけはバリバリバリってでかくなるんだ、最初の一回目だけ最高に笑えるんじゃないかと思っているけどどうだろう。未来の夜は街のいたるところでバリバリバリって音がしていて、それが街の上空で渦をまくようにまざりあうとザーーーーというブラウン管に映しだされる砂嵐みたいな音になって、その音の人間では知覚できない周波数を受信したどこかの宇宙人がまばゆいひかりの中からあらわれて、僕たちをさらっていってしまえばいいのに。つれさってしまえばいいのに。そこはきっとありふれた夢見る惑星で、輪郭のほどけたいくつもの『おやすみ』が、ながい地雨のように降りそそいでいるのだと思った。


自由詩 夢見る惑星マジックテープオーケストラ Copyright さわ田マヨネ 2014-08-04 20:37:41
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