自然
葉leaf



職場に新採で入ったころ、上司に古いタイプのサラリーマンがいた。私とは歳が大きく離れていたので、当然考え方に世代間のギャップがあり、そこで小競り合いのようなものが発生したりした。組織は異なるイデオロギーを持つ複数の世代を同じ部署に配置する。そこでの異質なものの同居は新しい人間をも古い人間をも刺激し、人間に停滞する暇を与えず絶えず戦略を練らせるものだ。

その上司は酒でのコミュニケーションを何よりも大事にしていた。酒はたくさん飲むもの。酒の席で親睦を深めるもの。単純な酒好きではあったが、それが仕事上のメリットに結び付けられ正当化されていた。ところが私の世代は酒をそれほど飲まない。素面でも十分コミュニケーションが取れるし、酒の席でしばしば起こる不毛な雑談を好まず、自分ひとりの時間を大事にしていた。そんなとき、上司からは、酒を飲まないのはデメリットだよ、などと圧力がかけられるのだった。

そんなとき、私は押しつけがましさに不快感を感じると同時に、目の前に海が開けるような、茫洋とした感覚を抱いたものだった。海が風景をすべて埋め尽くし、船が漂うのが見える、その私と船との間にある海のひろがり、そのくらい大きな隔たりが私と上司を支配していた。私と上司との考え方の違いを生み出しているものは何も自然の風景ではない。人と人とのやり取りや因習という人間臭く生臭いものの積み重ねのはずだ。だが、その隔たりはひたすら純粋に海の透明性を湛えているのだった。

またその上司は、残業を好む。もちろん私の世代は残業など好まず自分の趣味を大事にする。組織への帰属意識は残業などの形式的なところで示すのではなく、自らの主体性や業績などの実質的なところで示すのが私の世代の考え方だ。そうすると上司からは残業への圧力がかけられるわけだが、そこでも私が感じたのは何か自然の大きな営みのようなものだった。

その上司がまだ若くして働いていたころから今に至るまで、無数の雲が空を通り、数限りない雷が人々を脅かし、雨は強かったり弱かったり、太陽は時に残酷なまでに照り、そんな中で洪水も起きただろうし地震もあっただろうし地すべりも起きただろう。水と大気は地球を循環し、火山は噴火し、そういう無数の自然の変化が私と上司の間に挟まっているように感じたものだった。

私とその上司は世代が違っていたため考え方が違っていた。だがその隔たりを前にしたとき、私を支配したのは圧倒的な自然の広がりのイメージ、自然の流転のイメージだった。人間を隔てるものは経験の蓄積や因習などといった平凡で生臭いものではない。端的に、間に自然が、自然の時間と空間が、あくまで澄んだまま挟まっているにすぎないのだ。


自由詩 自然 Copyright 葉leaf 2014-08-03 14:37:09
notebook Home 戻る