夏の蟲
Giton

蝉といえばハルゼミ。ぼくは春の東北の山を訪ねるまで、こんな恐ろしい蝉の音があることを知らなかった‥
頂きにとどく高さのモミやミズナラの梢から、一里四方の谷を震撼させていた。その虫は親指ほどの大きさも無いと知ったとき、ぼくの生きていた世界は、たしかに変貌したのだった。

 しづけさや岩にしみいる蝉のこゑ

芭蕉が聴いたのは、きっとハルゼミに違いないと思った。国語の教科書にも、放課後忍び込んで見た教師用指導書にも、そんなことは書いてなかったが‥

イナゴといえば佃煮。東京の小学校に転校してはじめての昼食時、母が都会の子に負けないようにと奮発して弁当に入れてくれた豚かつの切れ端は、教師の執拗な小言を招来した。贅沢だと言うのだ。翌日ぼくは父の巨きな弁当箱を借り、ぎっしりと蝗を詰めて登校した。まず教師に皆の見ている前で数疋咀嚼させ、級友に一疋ずつ配った。脚も眼も触角もそのままの真っ黒い虫を。ああ、蝗わが友よ‥

夏といえばユスリカ。蚊柱を知らない子が多くなった。今でも夏山に行けば、蚊柱の迷惑を蒙らない日はない。
ユスリカの幼虫は蠕蟲舞手。幼虫のほうは大人も知らない。田の泥から尻だけ出してゆらゆらゆれている虫は、みみずかボウフラに思われている。
田んぼに囲まれた家では、電灯めざしてレミングのように集まる死骸を、一夏に何回かは掃き出さなければならない。それはとてもわずらわしい‥そしてすこし悲しい。


自由詩 夏の蟲 Copyright Giton 2014-07-31 00:17:13
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