壁の染み
永乃ゆち




駅から五分の
アパートは格安だけど
壁の染みが怖いんだ。

真顔であの人がそう言うから
外国のタバコと
ふて腐れた横顔には
似合わないセリフだと思って
笑ってしまった。

大きなドクロの指輪と
磨かれた靴の住む部屋で
壁の染みと睨みあっているあの人を
想像してまたおかしくなった。

私は
あの子ではないから
その光景を目にする事はできないけれど
それでも
楽しかった。
良いと思っていた。

 

半年後。
あの子と
あの人が
一緒に暮らし始めたと
誰かから聞いたとき
あの染みはどうしたんだろうと
少し気になった。

 

それを確かめる事もできずに
私は町を離れた。

 

今。
私はあの人と離れ
一人
毎日を汗だくで過ごしている。

 

あの人の事を
思い出す時間も減ってきて
いろんな事を忘れ
いろんな事を覚え
暮らしている。

 

もしもう一度あの人に会えるなら
壁の染みはどうなったのか聞いてみたいと思う。


ただそれだけで良い。
あのふて腐れた横顔と
磨かれた靴を
胸にしまい込んで
ほんの少し
弱気になる。

 

時々
痛いけれど
あの時のあの想いは
今も私の心の底に流れているから
それだけで良い。

 

あの人が今も
壁の染みと睨にあっていると良いなと思う。


自由詩 壁の染み Copyright 永乃ゆち 2014-07-15 03:16:55
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