「カップヌードルカレー味を食べるとき本当の自分に戻ったような気がします」
うめバア

本日は、「カップヌードルカレー味を食べるとき本当の自分に戻ったような気がします」、というお話をさせていただきたいと思います。
カップヌードルカレー味、これを食べる。食べたらどうなるか。本当の自分に戻ったような気がすると、そういうお話なわけでございます。このときのカップヌードルでございますが、これはカレー味でして、カップヌードルには通常の、あのオリジナルの、カップヌードルのですね、あの味がある、わけですがこれではなくて、またシーフード味でもない、はたまた最近になって出ているトマト味とも違うということで、まさにこれはカレー味、カップヌードルカレー味でというところがポイントとなるかなと、こう思う次第でございます。
さてカップヌードルカレー味ということでございますが、これを食べる。食べる、つまり、選んで食べるということですね。おおむね、大体の人は、お湯をわかして、ポットに常に100度近いお湯が入っているという人もいるけれど、ガスでわかる人もいる、中にはレンジで水から温めるなどという人もおられるかとは思いますが、いずれにせよ熱い湯を所定の場所に注いでですね、もとあった方向に紙ぶたを戻して、最初に紙ぶたをあけてお湯を入れるわけですから、これを戻して、そしてお湯を入れる。お湯でございます。なぜお湯なのか、これはもう、お湯でなければメンがほぐれないからお湯なわけでして、熱い。熱い湯を注いで、3分待つ。このですね、3分、これが実は「本当の自分」と深くかかわっているのではないかという有識者の方もいらっしゃいます。後ほど質問の方はお受けしたいと思います。この空白の3分をですね、一体どのように使っているのか。
なぜ3分なのかという話も出ていますね。最近は、こうしたカップラーメンは1分でできあがったほうがよいだろうということで、1分というものもでてまいっています。逆に、生麺タイプなど、少し製法の異なるものは戻しに時間もかかるのでしょうか、4分というものもございます。スパゲティや一部のうどんのたぐいなどは8分、または9分、長いもので13分などというものもありまして、これはもうカップ麵のようなわけにはいかない。同じ麺類でも全く異なるもの。日本とイタリアのように遠く離れている食品だと。
とにかくですね、1分だと短い。なにしろ本当の自分というものが見えたと同時にぱっと消えてしまうようです。では長いほうがいいからといって8分、9分、13分となるとどうなるか。本当の自分が見えるけれども、どうももてあますというか。本当の自分が目の前にあらわれたのだけれど、一体何を話せばよいのか、突然部屋にやってきた本当の自分をどうもてなせばよいのか。珈琲か紅茶でも入れてやろうかと思っても一体本当の自分というのは珈琲が好きなのか紅茶が好きなのか、それともカフェインはだめでハーブティがいいのか、はたまたやはりお茶といえば日本茶だろうと思っているかもしれないし、そうではなくてせっかく来たのだからビールの1杯ぐらい出せよと本心ではそういう気でいるのかもしれない。わからないわけです。なにしろ本当の自分ですから。見当違いなものを出して機嫌を損ねたらもう2度と来てくれなくなるかもしれないと思うと、何もできなくなってしまう。8分の間、お茶も出さずに突然玄関先に来た本当の自分に何を話すのか。突っ立ってぼーっとしているわけにもいかず、もじもじしながら箸で熱湯に泳ぐメンをかき回してみるぐらいが関の山で、ああ格好悪いと、こうなるわけで。
その点、3分ならば心配はいらないような気がします。お茶や珈琲など出すほどの時間でもない、用さえ済めばすっといなくなってくれる時間。でも1分ほどには短くない。いなくなる前に、何かをしておかなければという気にさせてくれるのが3分。そう、3分なのです、時間は3分。本当の自分が来て、帰るまでに3分。地球滅亡までにかかる時間があと3分。いやそんな大げさな話じゃなく3分。英会話のリスニングテキストが聞けるぐらいの3分、読みかけの本のページを開いても3分、ネットサーフィンで気になるニュースを探しても3分。3分、と思っている間に既に数十秒が過ぎるけど、それでもまだ時間があるから何をする3分、意外とつまらないことしかできないんだな3分。限りある時間を有効に使えないやつなんだな3分。これが本当の自分なのか3分。ぼーっとしてりゃ終わるね3分。でも待てないね3分。今あけたらまだ固いよね3分。誰かからメール来てたかな3分。どうしてカレー味にしちゃったんだろう3分。


自由詩 「カップヌードルカレー味を食べるとき本当の自分に戻ったような気がします」 Copyright うめバア 2014-04-24 14:52:52
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