杉本清名実況十選
平瀬たかのり
元関西テレビアナウンサー、杉本清氏の競馬実況を集めた愛読書『三冠へ向かって視界よし』(日本文芸社)から、特に好きな実況を十選し、ひとことふたこと述べさせていただきます。ワタシの蛇足はどっちでもいいので、「ターフの詩人」とも呼ばれる、氏の珠玉とも言うべき名実況をご紹介いたしますので、お時間ゆるされますれば、ぜひこの機会にお楽しみくださいませ。
・「見てくれ、この脚、見てくれ、この脚、これが関西の期待、テンポイントだ!」
(昭和50年 第27回阪神三歳ステークス)
中央競馬は関東と関西に分かれていて、当時は圧倒的に関東馬優勢の時代だったといいます。そんな時代に現れたのがデビュー戦を驚異のタイム、二戦目を9馬身差つけて勝ったテンポイント。だからこそ三戦目のこのレースで「関西の期待」という言葉が氏の口から出たのでしょう。
「見てくれ、この脚」叫びにも似たこの言葉は実況の域を越え、関西にいる競馬者が関東に叩きつけた挑戦状の意味も込められていたように思います。
・「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ」
(昭和58年 第44回菊花賞)
個人的に氏の実況の中で最も好きなのが、ミスターシービーが三冠を達成した時のこれ。
三冠レースとは三歳馬(当時表記は四歳)のみが出走できる、皐月賞、ダービー、菊花賞の「クラシックレース」のこと。三冠達成はシンザン以来実に19年ぶりの快挙だったのです。
「大地を弾ませ」ではなく「大地が弾んで」と表現したところに凄みを感じます。偉業の達成は競馬史の必然だったかのような。
ちなみに「皐月賞は速い馬が勝ち、ダービーは運のある馬が勝ち、菊花賞は強い馬が勝つ」と言われています。
・「雪はやんだ! フレッシュボイス一着!」
(昭和61年 第33回毎日杯)
最高傑作といってもいいフレーズ。
レースが始まるまでは雪がチラチラ降っていたとのこと。また勝負が決した瞬間に本当に雪がやんでいたのか定かではありません。けれども、しかし。
強烈な追い込みで勝った馬の疾走を「雪はやんだ!」の一言で表してしまう恐るべき表現の瞬発力。そして続く「フレッシュボイス」という馬名の清新さが与えてくれる心地よさ。きっとその時雪は降っていたとしてもやんでいたのです。
よければ一度口してみてください。元気になれます(笑)
・「菊の季節に桜が満開。菊の季節に桜! サクラスターオーです!」
(昭和62年 第48回菊花賞)
比較的有名なこのフレーズ。
サクラスターオーという馬は皐月賞を勝ったものの、故障によりダービーへの出走は叶いませんでした。つまりこの「菊の季節に桜が満開」というフレーズは馬名を言っているだけでなく「皐月賞(桜の季節)を勝った馬が半年ぶりに出走した菊花賞に勝った」ということをも表現しているのです。
勝利馬の脚色が良かったという4コーナーで思いついたという。菊花賞に「サクラ」の馬が出走するたび、これからも語り継がれていくことと思います。
・「興奮するお客さん、真っ白なスタンド。あなたの、そしてわたしの夢が走っています」
(昭和63年 第29回宝塚記念)
宝塚記念は、暮れの有馬記念と同じくファン投票によって出走馬が決まるいわゆる「グランプリレース」。だから「あなたの、そしてわたしの夢」が走るのです。
「真っ白なスタンド」というのは夏服の観客が多いから。それとこのレースに関しては一番人気のタマモクロスという馬が芦毛だったことをかけてのこと。
ちょっとケレン味もあってあざとさも感じたりするのだけれど、やっぱり夏、冬のグランプリレースを表現するのに、これ以上の言葉はないようにも思います。
・「一週間遅れの18番です、一週間遅れの18番!」
(平成2年 第15回エリザベス女王杯)
なぜ「一週間遅れの18番」かというと、この前の週にあった菊花賞で一番人気のメジロライアンに乗った横山典弘騎手が同じ馬番18番で負けてるわけですね。で、このレースで勝った横山騎手騎乗のキョウエイタップも馬番18番。その事を瞬時に思いだし生まれたのがこのフレーズ。騎手が雪辱を果たしたことを、これ以上ないほど端的かつ的確に言い表しています。
・「負けるなマックイーン、負けるなトウカイテイオー」
(平成4年 第105回天皇賞・春)
このレース前、トウカイテイオーに乗る岡部騎手が「地の果てまで駆ける馬」と言えば、メジロマックイーンに乗る武騎手が「僕の馬は天まで駆ける」とやり返し、春の天皇盾をかけた一騎打ちムードは日ごと高まっていました。(この頃のことはよく覚えています)。
実際のレースは4コーナーでテイオーの脚色が鈍り、最後の直線での一騎打ちとはなりませんでしたが、主役二頭を引き立たせようとする氏のアナウンサーという立場を越えた、演出者、かつファンの代弁者としての「どっちも負けるな」は微笑ましくも胸を打つがあります。
・「うわ〜、差が開いた開いた。これは強いわ強い。差が開いた、開いた。ぐんぐんぐんぐんゴールへ向かう。トウショウボーイ、拍手がわく、拍手がわく、これは大楽勝、トウショウボーイ1着!」
(昭和51年 第24回神戸新聞杯)
トウショウボーイが「天馬」の異名を持つ名馬だったからこそ「貴公子」テンポイントとの競馬史上に残り続けるライバル物語が生まれました。これもぜひ口にしていただきたいフレーズ。伸びやかにゴールへ向かう馬、そして大拍手が聞こえてきます。
ちなみにトウショウボーイの「トウショウ」は冠号で牧場名「藤正」のカタカナ表記。でもやはり個人的には「闘将」の文字を当て「闘将少年」と訳したい。
・「テスコガビー独走か、テスコガビー独走か。ぐんぐんぐんぐん差が開く、差が開く。後ろからはなーんにも来ない、後ろからはなーんにも来ない、後ろからはなーんにも来ない」
(昭和50年 第35回 桜花賞)
勝利馬が二着に10馬身以上(!)の差をつければいくら名実況者としても「言うことはなくなる」と苦笑せざるを得ないでしょう。でもそれを逆手にとって「後ろからはなーんにも来ない」と三回繰り返すことで、強さのリアルが見事に表現されました。「歴代最強牝馬はテスコガビー」というオールドファンがいまだに存在するのも、この実況が一役買っている気がします。
・「テンポイントだ、テンポイントだ、テンポイント! 中山の直線を、中山の直線を、流星が走りました。テンポイントです。しかし、さすがにトウショウボーイも強かった!」
(昭和52年 第22回有馬記念)
今後競馬がどれほど続き、レースがどれほど繰り返されようと、この有馬記念を越える「競走」が現出することはない、そう断言できるほどの永遠不滅のマッチレース。関西テレビのアナウンサー、杉本氏が中山競馬場で行われるこのレースを実況することになったのは、テンポイントの海外遠征に備えてのことだったといいます。これもやはり「縁」というものでしょうか。けれど翌年「流星の貴公子」は雄飛を叶えることなく、逝ってしまいます。
流星とは、馬の顔面に流れる白毛のこと。それを愛馬の疾走に重ね合わせることにより、その栄冠をいっそう際立たせた言葉の魔術。
そして最後に「天馬」トウショウボーイを讃えたことにより、このレースが「競走」であったことを満天下に知らしめることにもなりました。
不世出の競馬に、一世一代の実況。
日本の競馬にはテンポイントがいた。トウショウボーイがいた。そして杉本清がいた。
最後に元祖競馬怪人、寺山修司が著作「旅路の果て」の中で、トウショウボーイとテンポイントについて述べた喩えを転記し、稿を終わらせていただきます。
トウショウボーイ テンポイント
叙事詩--------------------抒情詩
海------------------------川
祖国的な理性--------------望郷的な感情
漢字----------------------ひらがな
レスラー的肉体美----------ボクサー的肉体美
橋または鉄骨--------------筏またはボート
影なき男------------------男なき影
防雪林--------------------青麦畑
お読みいただきありがとうございました。