【小品】もういくつ寝ると
こうだたけみ

 正月なんてとっくに過ぎて豆まきもひな祭りも終わったけれど、幼い頃お正月前によく歌ったあの歌を、小さな声で何度も何度も口ずさみながら歩く。私は、わずかに何かを期待していた。
「もーいーくつねーるーとー」
 ふいに左肩を叩かれた。おとなしく左側を向いたらつっかえ棒をされるに決まっている。私は立ち止まると、叩かれたほうとは逆の右側を振り向いてやった。そこに、のっぺりとした顔があった。
「なぜみぎをむいたの?」
 平板な声でしゃべるその顔には見覚えがあった。よくよく見たことがあるけれど誰だったか。そうだ、これは私の顔だ。気づいたとたん、声をなくして口をパクパクさせる私を見て顔は言った。
「くち」
 すると私は口の感覚がなくなって、パクパクさせることすらできなくなった。驚いて、鼻から大きく息を吸い込む。それを見て顔が言った。
「はな」
 今度は鼻の感覚が消え失せて息ができなくなった。血圧が上がっていくのがわかる。苦しい。誰か助けて。必死に目を動かす。すると顔が言った。
「め」
 舞台が暗転したみたいにふつっと真っ暗になった世界の中で、私は手探りでのっぺりとした顔に掴みかかる。それを引き剥がして裏返すと、咄嗟に自分の顔にあてがった。
 気づくと、世界は元通りになっていた。私は何が起こったかなんてすっかり忘れてしまって、幾分すっきりした気分になって歩き出す。お正月になんて何も期待はしてないけれど、わずかに何かを期待しながら「もういくつねると」と小声で口ずさむ。私の皮一枚隔てた内側で、得たいの知れない何かがぬるりと身じろいだ。



散文(批評随筆小説等) 【小品】もういくつ寝ると Copyright こうだたけみ 2014-04-08 16:05:24
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